ALS協会支部総会と記念交流会(2019/06/20)
6月9日に日本ALS協会鹿児島県支部総会と設立15周年記念交流会がサンロイヤルホテルで開催された。
第1回の設立総会は九州新幹線が鹿児島中央駅から新八代まで部分開通した年(2004年)の翌日(3月14日)に、鹿児島大学の鶴陵会館で開催され、全国から多くのALS協会関係者が出席してくれた。あの時からちょうど15年が経ったことになる。この間、一度も崩壊の危機に立たずに順調に発展してこれたのは、里中さんを中心にして遺族を含めた運営委員の方々のたゆまぬ努力の賜である。
設立総会の時に私は次のような言葉を述べているが、その気持ちに今も変わりはない。この大変な難病、でもこれほど生きることへの感動を与えてくれる病気はない・・・
多くの支援する人々が、県内そして県外からも集まってくれた。鹿児島県支部は33番目と遅い船出であったが、患者さん、家族、支援者、医療福祉専門職の連携をもとに、患者に寄り添う温かな明るい支部を目指していこう
さてこの日は総会に引き続いて、12時から記念交流会が開催された。黙祷に続いて会長の伊瀬知さんがあらかじめ録音していた言葉で開会の挨拶をされた。
この15年で多くの患者さんが亡くなられたが、長年副会長をされていた木脇さんと北吉さんが亡くなられたことには格別の思いがある。木脇さんは南九州病院でずっと療養しながら、「燃える桜島」など多くの絵を遺してくれた。私も一枚もらっていたので、今回部屋を片づけるときに難病相談・支援センターに飾ってもらうことにした。また北吉さんはこの4月に亡くなられたが、支部発足以来ずっと副会長の要職にあった。私とも南九州病院時代から長年の付き合いがあった。
私は来賓挨拶のトップバッターを頼まれていたので、「人の幸せ」と「人間の絆」を話題にした。
北吉さんは、呼吸が苦しくなって気管切開をするかどうか迷ったとき、「自分は娘たちの結婚式に出席したいことと、阪神タイガースの優勝をもう一度見ることができたら、いつ死んでもいい」と言っていました。幸い前者は達成されたのですが、残念ながら後者はまだ達成されずにおり、今年も無理のようです。
絆については、東日本大震災の後に盛んに言われるようになった言葉ですが、鹿児島県のALS協会ほど絆の強い組織はないのではないでしょうか。運営委員のほとんどが、遺族となった患者さんの配偶者や子どもさんで構成されていることです。自ら大変な介護を経験されたので、亡くなられた後もすこしでも役に立ちたいという気持ちからだと思います。なかなかできないことですが、今後も事務局長の里中さんを中心にみんなで力を合わせて発展させていって欲しいと思います。
私の他に祝辞として、徳島県支部支部長の長尾義明さん(日本ALS協会元会長)が、また祝辞を衆議院議員の川内博史氏と宮路琢馬氏がそれぞれ心のこもった挨拶をされた。
ひなたスマイルケアサポーターズ会長の日向みさ子氏の乾杯の音頭の後、歓談となった。この会にはかねてから懇意にしている人が多かったが、千葉県支部の川上さんや照川さんなど遠方から来てくれていた。
感謝状の贈呈があり、私も頂くことになった。10人ほどの関係者が頂いたが、それぞれに文面が異なっており、ALS協会の細やかな気配りに感心した。
第1回の設立総会は九州新幹線が鹿児島中央駅から新八代まで部分開通した年(2004年)の翌日(3月14日)に、鹿児島大学の鶴陵会館で開催され、全国から多くのALS協会関係者が出席してくれた。あの時からちょうど15年が経ったことになる。この間、一度も崩壊の危機に立たずに順調に発展してこれたのは、里中さんを中心にして遺族を含めた運営委員の方々のたゆまぬ努力の賜である。
設立総会の時に私は次のような言葉を述べているが、その気持ちに今も変わりはない。この大変な難病、でもこれほど生きることへの感動を与えてくれる病気はない・・・
多くの支援する人々が、県内そして県外からも集まってくれた。鹿児島県支部は33番目と遅い船出であったが、患者さん、家族、支援者、医療福祉専門職の連携をもとに、患者に寄り添う温かな明るい支部を目指していこう
さてこの日は総会に引き続いて、12時から記念交流会が開催された。黙祷に続いて会長の伊瀬知さんがあらかじめ録音していた言葉で開会の挨拶をされた。
この15年で多くの患者さんが亡くなられたが、長年副会長をされていた木脇さんと北吉さんが亡くなられたことには格別の思いがある。木脇さんは南九州病院でずっと療養しながら、「燃える桜島」など多くの絵を遺してくれた。私も一枚もらっていたので、今回部屋を片づけるときに難病相談・支援センターに飾ってもらうことにした。また北吉さんはこの4月に亡くなられたが、支部発足以来ずっと副会長の要職にあった。私とも南九州病院時代から長年の付き合いがあった。
私は来賓挨拶のトップバッターを頼まれていたので、「人の幸せ」と「人間の絆」を話題にした。
北吉さんは、呼吸が苦しくなって気管切開をするかどうか迷ったとき、「自分は娘たちの結婚式に出席したいことと、阪神タイガースの優勝をもう一度見ることができたら、いつ死んでもいい」と言っていました。幸い前者は達成されたのですが、残念ながら後者はまだ達成されずにおり、今年も無理のようです。
絆については、東日本大震災の後に盛んに言われるようになった言葉ですが、鹿児島県のALS協会ほど絆の強い組織はないのではないでしょうか。運営委員のほとんどが、遺族となった患者さんの配偶者や子どもさんで構成されていることです。自ら大変な介護を経験されたので、亡くなられた後もすこしでも役に立ちたいという気持ちからだと思います。なかなかできないことですが、今後も事務局長の里中さんを中心にみんなで力を合わせて発展させていって欲しいと思います。
私の他に祝辞として、徳島県支部支部長の長尾義明さん(日本ALS協会元会長)が、また祝辞を衆議院議員の川内博史氏と宮路琢馬氏がそれぞれ心のこもった挨拶をされた。
ひなたスマイルケアサポーターズ会長の日向みさ子氏の乾杯の音頭の後、歓談となった。この会にはかねてから懇意にしている人が多かったが、千葉県支部の川上さんや照川さんなど遠方から来てくれていた。
感謝状の贈呈があり、私も頂くことになった。10人ほどの関係者が頂いたが、それぞれに文面が異なっており、ALS協会の細やかな気配りに感心した。