合同食事会(前)(2019/06/24)
6月19日の夜、東京の麻布十番のオリーブで、「福永さんの退職ご苦労さん会」を開催されることになったが、その「経緯」を記すと次のようなことになる。
私はここ20年ほど東京に出かけた折には、平成10年に筋ジストロフィーで亡くなった轟木敏秀君をボランティアとして長年にわたって支えてくれた仲間たち(オリーブグループ)や、ちょうど同じころから浅草の福寿司で一緒に美味しい寿司をつまみながらお話していただいた友人(福寿司組)と会うことを楽しみにしてきた。この方々のなかには重複している人もおられたり、その友人や配偶者や娘さんなどさまざまな方々で構成されている。この方々のお蔭で、私の東京への出張はいかほどに豊かなものになったかわからない。まさに私のつかの間の「東京エンジョイライフ」だったのである。
ところが最近、東京に出かける機会がめっきり減って、なかなか会うことが叶わなくなった。南九州病院時代には三日間ほど日帰りで往ったり来たりとしたので、「東京に住んだ方がいいんじゃないの」とからかわれることもあった。
そこで今回、日本病院会の医療安全講習会が6月20日に予定されていたので、その前日に「合同」で集まれる機会をつくれたらありがたいと岡本さんに提案した。当初は「岡本さんの快気祝い」ということにしたのであるが、岡本さんが遠慮されて冒頭のようなタイトルの合同食事会となった次第である。名称はどうであれ、本当に有り難いことである。
参加者の多くは高齢でもあるし、今後お会いできる機会も少なくなるのではないかと思い、私としても大いに楽しみにしながらその日を待っていた。早々に山形屋からお土産にと徳永屋のさつま揚げを、また焼酎の伊佐美と黒糖焼酎の長雲一番橋をオリーブ宛に宅急便で送っていた。
さて当日、飛行機は鹿児島空港を予定時刻より20分遅れで出発した。羽田空港には16時20分に到着、東急線の大鳥居駅で降りて東横イン羽田空港にチェックインしたのち、再び、東急線に乗り大門で都営大江戸線に乗り換えて麻布十番に、そこで偶然、貴志ご夫妻や福地さんと出会って、一緒にオリーブへと向かった。幸い天気は晴れていて、18時前にはオリーブに着くことができた。既に、お互いがよくみえるようにと巧みなテーブル配置がなされていた。
三々五々集まってきたので、岡元さんの司会で、80歳になられたという福寿司の大澤さんの発声で乾杯、18時30分頃、みんなが出そろったところで、まず私が挨拶させてもらい、その後、お一人お一人に一分間スピーチをして頂いた。この夜が初対面の方もおられたが、そこはどこかに共通点があるのだろう、何ら違和感もなく昔からの友だちのようにきさくにお互いの話に聞き入った。その後は、お互いのテーブルで、ワイワイガヤガヤである。
名残は尽きなかったが遠くから来られている人もいたので、20時半過ぎに散会することになった。私はタクシーに乗り、岡本さんを途中で降ろして京急線の品川駅に、ここまでは何の問題もなくホテルには9時半頃に着くことができた。
ところが、ここから「事件」がはじまったのである。いつも医療事故防止のイロハであるところの「確認作業の徹底」を、今更ながら思い知らされたのである。
私はここ20年ほど東京に出かけた折には、平成10年に筋ジストロフィーで亡くなった轟木敏秀君をボランティアとして長年にわたって支えてくれた仲間たち(オリーブグループ)や、ちょうど同じころから浅草の福寿司で一緒に美味しい寿司をつまみながらお話していただいた友人(福寿司組)と会うことを楽しみにしてきた。この方々のなかには重複している人もおられたり、その友人や配偶者や娘さんなどさまざまな方々で構成されている。この方々のお蔭で、私の東京への出張はいかほどに豊かなものになったかわからない。まさに私のつかの間の「東京エンジョイライフ」だったのである。
ところが最近、東京に出かける機会がめっきり減って、なかなか会うことが叶わなくなった。南九州病院時代には三日間ほど日帰りで往ったり来たりとしたので、「東京に住んだ方がいいんじゃないの」とからかわれることもあった。
そこで今回、日本病院会の医療安全講習会が6月20日に予定されていたので、その前日に「合同」で集まれる機会をつくれたらありがたいと岡本さんに提案した。当初は「岡本さんの快気祝い」ということにしたのであるが、岡本さんが遠慮されて冒頭のようなタイトルの合同食事会となった次第である。名称はどうであれ、本当に有り難いことである。
参加者の多くは高齢でもあるし、今後お会いできる機会も少なくなるのではないかと思い、私としても大いに楽しみにしながらその日を待っていた。早々に山形屋からお土産にと徳永屋のさつま揚げを、また焼酎の伊佐美と黒糖焼酎の長雲一番橋をオリーブ宛に宅急便で送っていた。
さて当日、飛行機は鹿児島空港を予定時刻より20分遅れで出発した。羽田空港には16時20分に到着、東急線の大鳥居駅で降りて東横イン羽田空港にチェックインしたのち、再び、東急線に乗り大門で都営大江戸線に乗り換えて麻布十番に、そこで偶然、貴志ご夫妻や福地さんと出会って、一緒にオリーブへと向かった。幸い天気は晴れていて、18時前にはオリーブに着くことができた。既に、お互いがよくみえるようにと巧みなテーブル配置がなされていた。
三々五々集まってきたので、岡元さんの司会で、80歳になられたという福寿司の大澤さんの発声で乾杯、18時30分頃、みんなが出そろったところで、まず私が挨拶させてもらい、その後、お一人お一人に一分間スピーチをして頂いた。この夜が初対面の方もおられたが、そこはどこかに共通点があるのだろう、何ら違和感もなく昔からの友だちのようにきさくにお互いの話に聞き入った。その後は、お互いのテーブルで、ワイワイガヤガヤである。
名残は尽きなかったが遠くから来られている人もいたので、20時半過ぎに散会することになった。私はタクシーに乗り、岡本さんを途中で降ろして京急線の品川駅に、ここまでは何の問題もなくホテルには9時半頃に着くことができた。
ところが、ここから「事件」がはじまったのである。いつも医療事故防止のイロハであるところの「確認作業の徹底」を、今更ながら思い知らされたのである。