近畿鶴陵会総会(前)(2019/06/13)
「早起きは三文の得か」どうかはわかりませんが、私は毎朝4時には起きて、4時半頃には病院に着いています。そのような生活をずいぶん長い間続けてまいりました。時間には正確で、待ち合わせの場合など、相当早く出かけることにしています。
さてこの近畿鶴陵会総会に出席のため、JAL2410、13時40分発の飛行機に乗ろうと思って鹿児島空港のカウンターに着いたのが12時15分でした。係の女性が「搭乗予定の飛行機は機材の都合がつかなくなり欠航です。前の便に振り替えられますか」と、極めて事務的なトーンで話される。「おいおい、簡単におっしゃるけど、JALの次の便は17時じゃない。ANAに乗り換える(14時55分発に乗れれば、どうにか間に合うかも知れないが)ことができたらいいけど、そうでなかったら17時からの講演に間に合わないことになるんだぞ」と心の中で怒りながら、とりあえず12時35分発に変更できてホッとすることでした。
冒頭のこの部分は、6月8日(土曜日)、大阪市の新阪急ホテルにて開催された鶴陵会近畿支部総会での講演のマクラの一部である。この総会での講演を依頼されたのだが、察するに第三内科の後輩の中川先生(京都府立医科大学副学長)と大学の同級生だった大鶴君が推薦してくれたのではないかと思うところである。
時間を戻せば、8日の朝、いつものように病院に出向いて少し部屋の整理などをしたのち、11時前に病院のレストラン「空」で食事をした。いつもはこんなに早くは出発しないのだが、土曜日で特に仕事もないので、ちょっと早いとは思いながら11時20分ごろ病院を出発し一般道の10号線で行くことにした。一時間ほどで空港に到着して、カウンターで搭乗予定の飛行機の欠航を知った次第である。いつものように出発していたら、前の便に乗れるわけはないので、あわてていたことだろう。
13時45分過ぎに伊丹空港到着、そのまま高速バスでハービス、そして新阪急ホテルには 14時30分には着くことができた。プロジェクターのセットの都合もあり16時半頃に会場に降りていくと、神戸朝日病院の医局秘書の宮内さんが待ってくれていた。初対面であるが何度もメールでのやり取りをしてきたので、そのような気がしない。
総会は17時に開会で、中尾支部長の挨拶のあと簡単な会計報告があり、私の講演となった。参加者は22人で、3つの丸テーブルに分かれて腰を下ろしていた。最年長が昭和43年卒の古川先生、一番若い先生は平成26年卒の田代先生で、重富生まれの加治木高校卒だという。研修医時代を京都で過ごし、泌尿器科を専攻しているということだった。
私の講演のタイトルは「私の人生の(難病)物語」とした。
先ほどのマクラに続いて、「私の人生の物語に付き合って頂くことになりますが、人の自慢話など聞かされるのはまっぴらゴメンだ、と考えられる方もおられるかもしれません。申し訳ございませんが、一時間ほどお付き合いください。
薩摩で嫌われる人は、げんねこちょしらん(含羞がない)、よかぶいごろ(謙虚さがない)、やっせんぼ(勇気がない)だと司馬遼太郎さんは書いています。今夜はげんねこちょしらんということになりそうです・・・」
さてこの近畿鶴陵会総会に出席のため、JAL2410、13時40分発の飛行機に乗ろうと思って鹿児島空港のカウンターに着いたのが12時15分でした。係の女性が「搭乗予定の飛行機は機材の都合がつかなくなり欠航です。前の便に振り替えられますか」と、極めて事務的なトーンで話される。「おいおい、簡単におっしゃるけど、JALの次の便は17時じゃない。ANAに乗り換える(14時55分発に乗れれば、どうにか間に合うかも知れないが)ことができたらいいけど、そうでなかったら17時からの講演に間に合わないことになるんだぞ」と心の中で怒りながら、とりあえず12時35分発に変更できてホッとすることでした。
冒頭のこの部分は、6月8日(土曜日)、大阪市の新阪急ホテルにて開催された鶴陵会近畿支部総会での講演のマクラの一部である。この総会での講演を依頼されたのだが、察するに第三内科の後輩の中川先生(京都府立医科大学副学長)と大学の同級生だった大鶴君が推薦してくれたのではないかと思うところである。
時間を戻せば、8日の朝、いつものように病院に出向いて少し部屋の整理などをしたのち、11時前に病院のレストラン「空」で食事をした。いつもはこんなに早くは出発しないのだが、土曜日で特に仕事もないので、ちょっと早いとは思いながら11時20分ごろ病院を出発し一般道の10号線で行くことにした。一時間ほどで空港に到着して、カウンターで搭乗予定の飛行機の欠航を知った次第である。いつものように出発していたら、前の便に乗れるわけはないので、あわてていたことだろう。
13時45分過ぎに伊丹空港到着、そのまま高速バスでハービス、そして新阪急ホテルには 14時30分には着くことができた。プロジェクターのセットの都合もあり16時半頃に会場に降りていくと、神戸朝日病院の医局秘書の宮内さんが待ってくれていた。初対面であるが何度もメールでのやり取りをしてきたので、そのような気がしない。
総会は17時に開会で、中尾支部長の挨拶のあと簡単な会計報告があり、私の講演となった。参加者は22人で、3つの丸テーブルに分かれて腰を下ろしていた。最年長が昭和43年卒の古川先生、一番若い先生は平成26年卒の田代先生で、重富生まれの加治木高校卒だという。研修医時代を京都で過ごし、泌尿器科を専攻しているということだった。
私の講演のタイトルは「私の人生の(難病)物語」とした。
先ほどのマクラに続いて、「私の人生の物語に付き合って頂くことになりますが、人の自慢話など聞かされるのはまっぴらゴメンだ、と考えられる方もおられるかもしれません。申し訳ございませんが、一時間ほどお付き合いください。
薩摩で嫌われる人は、げんねこちょしらん(含羞がない)、よかぶいごろ(謙虚さがない)、やっせんぼ(勇気がない)だと司馬遼太郎さんは書いています。今夜はげんねこちょしらんということになりそうです・・・」
