Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

シニアなるほどゼミナール2019(中)(2019/05/28) 

マクラでは、自分が鹿児島の出身であることなどを交えながら自己紹介した後、小話を2,3披露した。一つは、最近、シニアの間で水泳を習う人が増えているというお話である。スイミングスクールに「三途の川を渡る船のお金を払いたくないので、泳ぎを学びたい」というお婆さんが来られた。だんだんうまくなっていかれたが、ある時ご主人が来られて、「ターンの仕方だけは教えないでください」と、こっそり頼まれたということである。ちょっと間を置いて爆笑となった。
もう一つの小話は、昨年も別の落語家(桃月亭白酒だったかな)のマクラで聞いたように記憶している。北海道の牧場を訪問したときのこと、乳搾りの様子を見学した。時間を訊ねた所、大きな牛の乳を上げ下げしながら「今、何時何分ですよ」と答えたという。「さすがに熟練者になると、乳の重さで時間もわかるんだなあ」と感心して向うに目をやると、そこに時計があったという話である。
その後の演目は、民話の「鶴の恩返し」と「動物園」というようなものだった。前者は「決して部屋を覗いてはいけませんよ」という娘の忠告に、おじいさんとおばあさんは忠実に従うのだが、朝起きてみればその部屋にあった家財道具が全部なくなっている。「あの娘、鶴ではなくてサギだった」というオチである。『動物園』は『虎の見世物』『ライオン』などを手振りや表情で面白おかしく表現していた。
ところで柳若さんは鹿児島中央高校を卒業後に東海大学に入学、10年ほどのサラリーマン生活を経て落語家になったという経歴で、現在二つ目である。たまたまお父さんが鹿児島市にある創設計という会社の創立者で、十数年前に私の義父の病院の設計もお願いしたというご縁がある。会場を出る時に数名の女性の集団から「柳若さんのお母さんは私たちと同級生で、先生のお兄さんとも高校の同級生なんですよ」と話しかけられた。鹿児島は狭い社会で、何らかのつながりがあり、これが私の昼の講演の「マクラ」となった。
        約一時間のお話で、最後は大きな拍手で閉会となった。元気いっぱいで声もよく通っていた。楽しく聞けたが、熟成の味を出すにはもう少しの経験が必要ということだろうか。「故郷に錦を飾る」ということで、一生懸命さはよく伝わった。
12時半ごろ、南日本新聞事業部の最勝寺さんとビストロ・ドゥ・レヴ (交流センター県政記念館2F )で昼食をとった。13時から、交流センター大ホールで開催されていた「看護の日記念式典」のミニコンサートに出かける予定にしていたので、得意の早食いで「黒豚とんかつ定食」を美味しく食べた。
        「看護の日記念式典」には看護学生を中心に300人ほどが集まっていた。ミニコンサートはソプラノ歌手の中村かし子さんである。看護協会の田畑会長と同郷(鹿児島県肝付町)で同学年だということだったが、旧鹿児島短期大学(現在鹿児島国際大学短期大学部)を卒業後、ドイツに留学して20年ほどドイツで活躍されていた。義弟が白血病で亡くなったことがきっかけになって、骨髄バンクの活動にも協力しているという。この日は「花は咲く」などの歌を、のびやかなソプラノで披露していた。
この後、看護業務功労者県知事表彰式があり上園さん(姶良郡医師会訪問看護ステーション)や財部さん(元鹿児島市保健師)、日向さん(ひなたスマイルケアサポーターズ)など、かねてよく知っている方々が表彰されていた。県のくらし保健福祉部長の中山さんや県医師会長の池田先生、県看護協会長の田畑さんなどに挨拶して会場を後にした。