平成から令和の時代に(4)(2019/05/16)
学習院の二学年後輩として、かれこれ七十年近く陛下と親しくさせていただいているという織田和雄氏は「プロポーズの真相」と題する一文を寄せておられる。
昭和三十年十月二十七日、電話交換手の役割が始まりました。陛下から電話をいただいたら美智子さまに電話をかけ「いまから陛下に電話してください」と取り次ぐのです。・・・
「公的なことが最優先であり、私事はそれに次ぐもの」
実際は、こうご自身の立場を率直に伝えておられました。何より凄いのが、最期の言葉です。
「お助けできないことがあるかも知れない。それでも結婚したいのでイエスと言ってください」
「柳行李」という甘いプロポーズの言葉でなく、お立場上の厳しい現実に訴えられた。だからこそ、美智子さんは心をうたれたんでしょう(終)。
織田さんは親しい学友として、また「恋のキューピッド」役として紹介されることが多い。携帯電話もない時代、橋渡しは皇室でも黒電話の時代だった。皇太子が公務を優先するという姿勢を貫かれ、また美智子妃がいかに厳しい覚悟で結婚を受諾されたのかがよく分る。
また平成七年から十七年間にわたり、侍従・侍従次長として両陛下にお仕えした佐藤正宏氏は「侍従にもお辞儀をされて」というタイトルで次のように書かれている。
私がノックして中に入りますと、陛下は執務机で腰掛けておられました。ところが私の姿を見るやスッと立ち上がられ、きちんとお辞儀をしてくださったのです。ご用が終わって辞去する際も、同じように一礼されました。・・・このなさりようは私がお仕えした間、変わりませんでした。このように陛下はいかなる場合にも真摯に向き合われ、また人と人との関係を大切にしてこられました。
皇后さまはIBBYのご活動のほかにも、日本の詩をご自身でも英訳されるなど、日本文化を世界に発信されています。その素晴らしいお人柄と相俟って、陛下のお側で日本の皇室の存在感を高めて来られました。このようなお姿を近くで拝見してきましたから、大変失礼な言い方かもしれませんが、私は今でも皇后さまの大ファンなのです。(終)
佐藤氏はおそらくノンキャリとして天皇陛下に長い間お仕えされてきた方だろう。陛下は地位などに分け隔てなく何人にもいつも自然体で接せられて来られてきたことがわかる逸話である。
昭和三十年十月二十七日、電話交換手の役割が始まりました。陛下から電話をいただいたら美智子さまに電話をかけ「いまから陛下に電話してください」と取り次ぐのです。・・・
「公的なことが最優先であり、私事はそれに次ぐもの」
実際は、こうご自身の立場を率直に伝えておられました。何より凄いのが、最期の言葉です。
「お助けできないことがあるかも知れない。それでも結婚したいのでイエスと言ってください」
「柳行李」という甘いプロポーズの言葉でなく、お立場上の厳しい現実に訴えられた。だからこそ、美智子さんは心をうたれたんでしょう(終)。
織田さんは親しい学友として、また「恋のキューピッド」役として紹介されることが多い。携帯電話もない時代、橋渡しは皇室でも黒電話の時代だった。皇太子が公務を優先するという姿勢を貫かれ、また美智子妃がいかに厳しい覚悟で結婚を受諾されたのかがよく分る。
また平成七年から十七年間にわたり、侍従・侍従次長として両陛下にお仕えした佐藤正宏氏は「侍従にもお辞儀をされて」というタイトルで次のように書かれている。
私がノックして中に入りますと、陛下は執務机で腰掛けておられました。ところが私の姿を見るやスッと立ち上がられ、きちんとお辞儀をしてくださったのです。ご用が終わって辞去する際も、同じように一礼されました。・・・このなさりようは私がお仕えした間、変わりませんでした。このように陛下はいかなる場合にも真摯に向き合われ、また人と人との関係を大切にしてこられました。
皇后さまはIBBYのご活動のほかにも、日本の詩をご自身でも英訳されるなど、日本文化を世界に発信されています。その素晴らしいお人柄と相俟って、陛下のお側で日本の皇室の存在感を高めて来られました。このようなお姿を近くで拝見してきましたから、大変失礼な言い方かもしれませんが、私は今でも皇后さまの大ファンなのです。(終)
佐藤氏はおそらくノンキャリとして天皇陛下に長い間お仕えされてきた方だろう。陛下は地位などに分け隔てなく何人にもいつも自然体で接せられて来られてきたことがわかる逸話である。
