鹿屋肝属地区認知症研究会(後)(2019/03/19)
「私は生まれが薩摩半島の頴娃町ですので、大隅半島とはちょっと疎遠でした。でも鹿屋の人の気持ちが大変温かいことを今日知りました。実は今日、鹿屋に行くと家内に言ったら、小松食堂のピーナツ豆腐買ってきてくれない、と頼まれたのです。面倒くさいと思いながら、まあかねて家内孝行なるもの何にもしていないので、こんな時くらい買ってきてやろうと思いました。ところがこのお店、10時から14時までしか開いていないのですね。電話すると、10時開店ですといわれる。10時では10時半出発のフェリーに乗れなくなるので、そこをなんとか、と粘ると、明日は土曜日だから9時半には間に合わせるように用意しておきます、と言ってくれました。鹿屋の人は優しいと認識を新たにした次第です」で始めた。
そのあと、一人ひとりの人生には一つの物語があること、社会は人と人の繋がりでできていること、世の中にはいろいろな考え方があり、それぞれが支え合っていることなど身近な実例などを交えながら話した。
そして難病医療≒高齢者医療(認知症医療)のような気がする。というのは、双方とも原因がわからない、治療法がない(介護が主体)、医療・福祉面での負担が大きい、ケア・システムも似ている、死生観の問題が必要になってくる。
その後はALSの事例の紹介や、健康長寿があってこそ第二の人生も楽しくなることなどを話して20時50分ごろに終えることができた。
多くの出席者から「分りやすくて良かったですよ」と言われた。高齢者(難病)からみたより良いケアシステムを構築するにはどうすればいいか、みんなの思いは一致しているので話しやすい。座長の林田さんからは「先生を囲む会」のようなものがつくれるといいですね、という提言まで頂いた。控室で大きな弁当をもらってホテルに急ぎ、ひとり寂しく弁当を食べることだった。そしてそのまま床に横になった。
朝食は6時半からだったが、帽子をかぶり仕事着に着替えたお兄さんやおじちゃんの姿が目立ち飯場のような雰囲気である。私のように背広を着た人は場違いというようなホテルであるが、私は東京のかしこまったホテルよりここの方があっていると思った。
9時半に約束していた小松食堂でピーナツ豆腐を受け取り、フェリーの駐車場に急いだ。天気は快晴だが、声がガラガラである。
そのあと、一人ひとりの人生には一つの物語があること、社会は人と人の繋がりでできていること、世の中にはいろいろな考え方があり、それぞれが支え合っていることなど身近な実例などを交えながら話した。
そして難病医療≒高齢者医療(認知症医療)のような気がする。というのは、双方とも原因がわからない、治療法がない(介護が主体)、医療・福祉面での負担が大きい、ケア・システムも似ている、死生観の問題が必要になってくる。
その後はALSの事例の紹介や、健康長寿があってこそ第二の人生も楽しくなることなどを話して20時50分ごろに終えることができた。
多くの出席者から「分りやすくて良かったですよ」と言われた。高齢者(難病)からみたより良いケアシステムを構築するにはどうすればいいか、みんなの思いは一致しているので話しやすい。座長の林田さんからは「先生を囲む会」のようなものがつくれるといいですね、という提言まで頂いた。控室で大きな弁当をもらってホテルに急ぎ、ひとり寂しく弁当を食べることだった。そしてそのまま床に横になった。
朝食は6時半からだったが、帽子をかぶり仕事着に着替えたお兄さんやおじちゃんの姿が目立ち飯場のような雰囲気である。私のように背広を着た人は場違いというようなホテルであるが、私は東京のかしこまったホテルよりここの方があっていると思った。
9時半に約束していた小松食堂でピーナツ豆腐を受け取り、フェリーの駐車場に急いだ。天気は快晴だが、声がガラガラである。
