大震災は日本人に「覚悟」を突きつけた(2019/03/15)
人間、追い風に乗っている時には何をやってもうまく行くものだが、逆になると全てが裏目に出てしまう。このことは、大震災後の菅総理にも当てはまりそうである。
「現場に素早く飛ぶ、行動するトップリーダー」というパフォーマンスを示そうと、被災地と東京電力福島原子力発電所を震災発生の翌日に視察したが、この時に東電側の応対のために初期対応が後手に回ったとの批判である。
真偽のほどはともかく、震災後のテレビを通しての国民へのメッセージに、国のトップとしての物足りなさを感じている人は多いのではないだろうか。はたしてこの人で、未曾有の国難を乗り切れるかという不安が、先ほど行われた統一地方選挙の結果にも表れている。この問題ばかりでなく政権獲得後の民主党の政策や人事をみていると、長期的な展望や洞察力に欠け、行き当たりばったりのような印象を受けてしまう。反官僚を錦の御旗にしているが、内実は「お友達」人事の素人政権の域を超えていない。批判している官僚制度は問題点はあるにせよ、日本の戦後復興を支えてきたのは事実である。
また震災後、記者会見などで震災復興や原子力発電所についても言及したが、特にこの事態に対して一国の総理の言葉として胸に響くものはなかった。このようなときには、具体的な対策を未来志向でわかりやすく説明することはもちろんのこと、自分の言葉で「哲学」を語り、国民一人ひとりに「反省と覚悟」を訴え、「これまでの日本でいいのか」というようなメッセージが欲しかったのである。
顧みれば戦後65年、焦土と化した国土から出発した日本は、先人の必死の努力により経済的には奇跡の復興を果たした。ただこの復興の過程で余りにも物質的な豊かさと効率を追求したがために、多くの副作用をもたらす結果となった。今回の原子力発電所の事故も、その象徴のような気もする。私たちの中学の教科書では、日本は急峻な河川が多いのでそれを利用して水力発電が盛んであると習ったものだが、今や電力の3割強は原子力ということである(ちなみに水力は7%とか)。
東京電力管内で施行された計画停電をみれば、いかに原子力に依存してきたかがよくわかる。また東京の電力供給が東北や北陸地方にこれほど依存している現実も明らかとなった。今やコンセントをつなげば、容易に電気が得られる便利な生活に慣れきっている。だからといって、原子力エネルギーを直ちにやめて、昔の生活に戻ることが可能かといえば話はそう簡単ではない。今の日本人に、生活の質を落とす覚悟ができているだろうか。一度便利な生活を手にしたものが、昔の生活に戻れるはずがない。せいぜい、節電の域である。東京都知事に4選した石原知事でさえ簡素な生活を説いていたが、「あなただけには言われたくないよ(外遊では超豪華ホテルに宿泊して非難を受けた)」というのが私の率直な感想である。
原発依存からの脱却にはもちろん賛成するが、代替エネルギーの見通しがなければ机上の空論に過ぎない。
一方では日本の戦後復興は、山紫水明の美しい国土を荒廃させ、人心の退廃を招きつつある。東京都に代表されるような過度な一極集中により地方では過疎と高齢化が進み、緑なす「まほろば」とうたわれた美しい田園は雑草地となっている。
このような時代に、小さな島国日本は何百年に一度といわれる国難に見舞われたのである。文字通り「災い転じて福となす」ということわざがある。我々はこの惨事から、反省と教訓を学び、覚悟を新たにしなければならない。
今一度、古来日本人が大切にしてきた「簡素な文化」を思い起こし、「新しい生き方モデル」を創造しなければならない。
かごしまでは穏やかな春の天気が続いている。夜明けも早くなって、病院に着いた時にも明るくなってきた。原発の先行きに収束への工程が見えないので苛立ちが募っているが、これが原発事故の恐ろしいところなのだろう。
「現場に素早く飛ぶ、行動するトップリーダー」というパフォーマンスを示そうと、被災地と東京電力福島原子力発電所を震災発生の翌日に視察したが、この時に東電側の応対のために初期対応が後手に回ったとの批判である。
真偽のほどはともかく、震災後のテレビを通しての国民へのメッセージに、国のトップとしての物足りなさを感じている人は多いのではないだろうか。はたしてこの人で、未曾有の国難を乗り切れるかという不安が、先ほど行われた統一地方選挙の結果にも表れている。この問題ばかりでなく政権獲得後の民主党の政策や人事をみていると、長期的な展望や洞察力に欠け、行き当たりばったりのような印象を受けてしまう。反官僚を錦の御旗にしているが、内実は「お友達」人事の素人政権の域を超えていない。批判している官僚制度は問題点はあるにせよ、日本の戦後復興を支えてきたのは事実である。
また震災後、記者会見などで震災復興や原子力発電所についても言及したが、特にこの事態に対して一国の総理の言葉として胸に響くものはなかった。このようなときには、具体的な対策を未来志向でわかりやすく説明することはもちろんのこと、自分の言葉で「哲学」を語り、国民一人ひとりに「反省と覚悟」を訴え、「これまでの日本でいいのか」というようなメッセージが欲しかったのである。
顧みれば戦後65年、焦土と化した国土から出発した日本は、先人の必死の努力により経済的には奇跡の復興を果たした。ただこの復興の過程で余りにも物質的な豊かさと効率を追求したがために、多くの副作用をもたらす結果となった。今回の原子力発電所の事故も、その象徴のような気もする。私たちの中学の教科書では、日本は急峻な河川が多いのでそれを利用して水力発電が盛んであると習ったものだが、今や電力の3割強は原子力ということである(ちなみに水力は7%とか)。
東京電力管内で施行された計画停電をみれば、いかに原子力に依存してきたかがよくわかる。また東京の電力供給が東北や北陸地方にこれほど依存している現実も明らかとなった。今やコンセントをつなげば、容易に電気が得られる便利な生活に慣れきっている。だからといって、原子力エネルギーを直ちにやめて、昔の生活に戻ることが可能かといえば話はそう簡単ではない。今の日本人に、生活の質を落とす覚悟ができているだろうか。一度便利な生活を手にしたものが、昔の生活に戻れるはずがない。せいぜい、節電の域である。東京都知事に4選した石原知事でさえ簡素な生活を説いていたが、「あなただけには言われたくないよ(外遊では超豪華ホテルに宿泊して非難を受けた)」というのが私の率直な感想である。
原発依存からの脱却にはもちろん賛成するが、代替エネルギーの見通しがなければ机上の空論に過ぎない。
一方では日本の戦後復興は、山紫水明の美しい国土を荒廃させ、人心の退廃を招きつつある。東京都に代表されるような過度な一極集中により地方では過疎と高齢化が進み、緑なす「まほろば」とうたわれた美しい田園は雑草地となっている。
このような時代に、小さな島国日本は何百年に一度といわれる国難に見舞われたのである。文字通り「災い転じて福となす」ということわざがある。我々はこの惨事から、反省と教訓を学び、覚悟を新たにしなければならない。
今一度、古来日本人が大切にしてきた「簡素な文化」を思い起こし、「新しい生き方モデル」を創造しなければならない。
かごしまでは穏やかな春の天気が続いている。夜明けも早くなって、病院に着いた時にも明るくなってきた。原発の先行きに収束への工程が見えないので苛立ちが募っているが、これが原発事故の恐ろしいところなのだろう。
