Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

「天皇陛下在位30年式典」での天皇陛下のお言葉(後)(2019/03/11) 

天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。
        (陛下にとってのこの30年は、憲法で定められた象徴としての天皇像を模索することだったかと思慮する。象徴という抽象的な文言をどのような行動で示していけばいいのか、大変な作業だったかと思うが、国民へのやさしいお言葉やさまざまな行事、被災地や戦争慰霊地への墓参などを通じて象徴としての在り方が少しずつ国民の側にも形作られて来たのではないだろうか。そしてこの模索は次の天皇にもずっと受け継がれていくだろうと述べておられる)。
        災害の相次いだこの30年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです。
        今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、お礼の気持ちを述べたく思います。
        (天皇、皇后両陛下の被災地訪問、70代後半からの年齢を考えると信じがたいほどである。東日本大震災発生から7カ月後の2011年10月、皇后さまが誕生日に次のような文を発表されている。「ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした」「このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした」
この謙虚さが、いつも膝まづいて被災者を慰められるお姿に表れている。2011年には毎月のように被災地を慰問されていたが、結果的にはこの時の心労が2012年の冠動脈バイパス手術につながったといわれている)。 
        平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。
ともどもに 平(たひ)らけき代を築かむと 諸人(もろひと)のことば 国うちに充(み)つ
平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました。
そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。
しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。
        (最後の部分で皇后の歌を紹介したのは、戦争を知る世代が少なくなっていく時代にあって、戦争の悲惨さを実体験された両陛下の二度と戦争をしてはならないという我々に対する願いのメッセージだと理解する。皇后陛下はいわゆる庶民から始めの皇太子妃として内外の注目を浴びたが、陛下を支える大きな役割を果たしたといえる。各方面に極めて有能な資質を持ちながら、いつも控えめに心配りを怠らなかった。日経の特別座談会で元侍従長の渡辺さんは次のような逸話を紹介している。皇后の役割は天皇陛下を支えることだと考えておられ、2012年2月に陛下が心臓手術をされた翌月に行われた東日本大震災一周年の追悼式の時、皇后さまが和服で出られた。なぜ和服かというと、ハイヒールより草履の方が安定感があり、もし陛下が倒れるようなことがあったら自分で支えなければならないというお気持ちだったかという。また作家の半藤さんは1998年の国際児童図書評議会のニューデリー大会での講演で、日本書紀のヤマトタケルを救うために海に身を投げるオトタチバナヒメの話をされたという」
         天皇、皇后両陛下の「旅」もあと2か月足らずで終わりを迎えようとしている。