「天皇陛下在位30年式典」での天皇陛下のお言葉(前)(2019/03/08)
あと一月(4月1日)足らずで新しい元号の発表があり、5月1日からは現在の皇太子が天皇に即位される。
平成の世とはどのような時代だったのか、時代を経てから評価がされるものだろうが、いつも誠実で思いやり深い両陛下のもとで平成の日々を送ることのできたのは我々の世代にとって大きな幸せだったのかも知れない。思い起こせばこの30年間、未曽有の自然災害をいくつも経験した。ただ日本は戦争のない平和な時代だったことは確かである。
2019年2月24日、東京都内で開催された政府主催の「天皇陛下在位30年式典」での天皇陛下のお言葉は、国民に対する最後のお言葉になるかも知れないものだが、思いやりに充ちた素晴らしいものだった。陛下は今までにもビデオメッセージや誕生日のお言葉など、国民向けに節目となる重要なメッセージをいくつか出されてきた。私ごときが軽々に「素晴らしい」などと表現してしまうのは不遜のそしりを免れないが、陛下が自らの率直な心情を、自らのお言葉で表現されたところがすごいことだと思う。
私は2012年12月に思いがけず人事院総裁賞を授与された時に、宮殿連翠の間で両陛下に御接見の栄誉を賜った。その時に両陛下との御接見(それぞれに数分ずつ、お話しする機会を持てた)の合間に、相手をしてくれた女官長(木戸孝允の玄孫だということだったが)が「陛下は夜遅くまで机に向かわれて、挨拶の文言などほとんど自らの手で原稿を書かれておられます」と言われた言葉が、強く印象に残っている。一般的には挨拶文は担当のものが用意するのが常と思っていたのでびっくりしたが、人任せにできない真面目なご性格のなせる技なのだろう。
今回の陛下のお言葉の中から、私なりに印象に残った部分を記したい。
即位から30年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。
平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。
(陛下の学習院時代の同級生、明石元紹さんは終戦後、集団疎開先から陛下とともに帰京された東京・原宿の駅ホームで一面の焼け野原を目の当たりにした。「戦争で荒廃した日本の一番悪い時期を知るからこそ、強く平和を求めておられたのだろう」と話されておられるが、まさにその通りだろう。沖縄をはじめとする戦争慰霊の旅の足跡をみるにつけ、非戦の思いは誰にも負けない確たる信念を持っておられるようにお見受けする)。
平成の世とはどのような時代だったのか、時代を経てから評価がされるものだろうが、いつも誠実で思いやり深い両陛下のもとで平成の日々を送ることのできたのは我々の世代にとって大きな幸せだったのかも知れない。思い起こせばこの30年間、未曽有の自然災害をいくつも経験した。ただ日本は戦争のない平和な時代だったことは確かである。
2019年2月24日、東京都内で開催された政府主催の「天皇陛下在位30年式典」での天皇陛下のお言葉は、国民に対する最後のお言葉になるかも知れないものだが、思いやりに充ちた素晴らしいものだった。陛下は今までにもビデオメッセージや誕生日のお言葉など、国民向けに節目となる重要なメッセージをいくつか出されてきた。私ごときが軽々に「素晴らしい」などと表現してしまうのは不遜のそしりを免れないが、陛下が自らの率直な心情を、自らのお言葉で表現されたところがすごいことだと思う。
私は2012年12月に思いがけず人事院総裁賞を授与された時に、宮殿連翠の間で両陛下に御接見の栄誉を賜った。その時に両陛下との御接見(それぞれに数分ずつ、お話しする機会を持てた)の合間に、相手をしてくれた女官長(木戸孝允の玄孫だということだったが)が「陛下は夜遅くまで机に向かわれて、挨拶の文言などほとんど自らの手で原稿を書かれておられます」と言われた言葉が、強く印象に残っている。一般的には挨拶文は担当のものが用意するのが常と思っていたのでびっくりしたが、人任せにできない真面目なご性格のなせる技なのだろう。
今回の陛下のお言葉の中から、私なりに印象に残った部分を記したい。
即位から30年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。
平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。
(陛下の学習院時代の同級生、明石元紹さんは終戦後、集団疎開先から陛下とともに帰京された東京・原宿の駅ホームで一面の焼け野原を目の当たりにした。「戦争で荒廃した日本の一番悪い時期を知るからこそ、強く平和を求めておられたのだろう」と話されておられるが、まさにその通りだろう。沖縄をはじめとする戦争慰霊の旅の足跡をみるにつけ、非戦の思いは誰にも負けない確たる信念を持っておられるようにお見受けする)。
