榊原英資氏の交遊抄(2019/02/15)
2019年2月4日の日経朝刊の交遊抄で、「ミスター円」と称された財務官の榊原英資氏が、「日比谷の輪」というタイトルで、亡き金澤一郎氏のことに触れておられる。さすがにあの時代の日比谷高校、俊秀が揃っていたのだろう。
東京都立日比谷高校1年のとき、隣の席にいたのが金沢一郎さんだ(注:奥様も同級生だったらしい)。物おじしない真直ぐな性格ですぐに親しくなった、で始まる。・・・
金沢さんは極めて優秀だったが、それを鼻にかけず、思いやりも欠かさない。私の家族の医療の相談にも親身に応じてくれた。皇室医務主管や日本学術会議会長など重責を任されたのも多くの信頼があったからだろう。・・・
金沢さんは膵臓がんを患い、3年前(注:2016年1月20日)に亡くなった。お見舞いでは高校のころの昔話など他愛のない話題に終始した。日比谷の輪はいまも残る。仲間が集えば、生涯の親友の姿が頭をよぎる、で終わっている。
金沢先生については3年前にこのランでも書かせてもらったことがあるが、私は神経学を志したということでは一致しているが、年齢も大学も違うし直接に教えを受けたこともなかったのに、いろいろと目にかけていただいた。心から感謝している。現在も続いている厚生科学審議会疾病対策部会部会長は、金沢先生のお仕事を引き継がせてもらったものである。
先生との接点は、なんといっても厚労省の「難病対策検討委員会」である。先生は委員長として「難病法」の道筋をつけられた。2011年12月の「今後の難病対策の検討にあたって(中間的な整理)」や2013年1月「難病対策の改革について(提言)」などを指導された。2014年の初頭、ご病気で委員会にも出席できなくなり、私が副委員長の立場で「難病法」の成立まで関わることとなった。難病法はその理念として、(たとえ難病になっても)社会参加と共生社会の実現ということを掲げているが、これは先生と同じ思いだった。
また先生とは2013年7月から2014年1月までの間、法務省の「矯正医療の在り方に関する有識者検討会」で、先生が委員長で私は委員の一人として参加した。先生はこの検討会のまとめを、当時の谷垣法務大臣に提出されてからしばらくして亡くなられた。
難病対策委員会では先生のすぐ横の席で長年ご一緒したが、率直な性格がよく伝わってきた。「私は少し耳が遠くなりましたので、大きな声で発言してください」と委員の方々に言われたり、「5時になるとエレベーターが混む(会議場は厚労省の28階にあった)ので、5時前に終わりにしようね」と私にささやいたりしたこともあった。先生の言葉や所作をつぶさに感じられる場所にいたが、美智子妃が全幅の信頼を置かれるだけあって素晴らしい人格者であるとともに、時には人間的な面白味も持ち合わせたほほえましく温かみの感じられる先生だった
先日は信州大学や東京医科歯科大学の神経内科の教授をされておられた塚越広先生の訃報の通知があった。若いころ、仰ぎ見ていた先生方が亡くなられていく。
東京都立日比谷高校1年のとき、隣の席にいたのが金沢一郎さんだ(注:奥様も同級生だったらしい)。物おじしない真直ぐな性格ですぐに親しくなった、で始まる。・・・
金沢さんは極めて優秀だったが、それを鼻にかけず、思いやりも欠かさない。私の家族の医療の相談にも親身に応じてくれた。皇室医務主管や日本学術会議会長など重責を任されたのも多くの信頼があったからだろう。・・・
金沢さんは膵臓がんを患い、3年前(注:2016年1月20日)に亡くなった。お見舞いでは高校のころの昔話など他愛のない話題に終始した。日比谷の輪はいまも残る。仲間が集えば、生涯の親友の姿が頭をよぎる、で終わっている。
金沢先生については3年前にこのランでも書かせてもらったことがあるが、私は神経学を志したということでは一致しているが、年齢も大学も違うし直接に教えを受けたこともなかったのに、いろいろと目にかけていただいた。心から感謝している。現在も続いている厚生科学審議会疾病対策部会部会長は、金沢先生のお仕事を引き継がせてもらったものである。
先生との接点は、なんといっても厚労省の「難病対策検討委員会」である。先生は委員長として「難病法」の道筋をつけられた。2011年12月の「今後の難病対策の検討にあたって(中間的な整理)」や2013年1月「難病対策の改革について(提言)」などを指導された。2014年の初頭、ご病気で委員会にも出席できなくなり、私が副委員長の立場で「難病法」の成立まで関わることとなった。難病法はその理念として、(たとえ難病になっても)社会参加と共生社会の実現ということを掲げているが、これは先生と同じ思いだった。
また先生とは2013年7月から2014年1月までの間、法務省の「矯正医療の在り方に関する有識者検討会」で、先生が委員長で私は委員の一人として参加した。先生はこの検討会のまとめを、当時の谷垣法務大臣に提出されてからしばらくして亡くなられた。
難病対策委員会では先生のすぐ横の席で長年ご一緒したが、率直な性格がよく伝わってきた。「私は少し耳が遠くなりましたので、大きな声で発言してください」と委員の方々に言われたり、「5時になるとエレベーターが混む(会議場は厚労省の28階にあった)ので、5時前に終わりにしようね」と私にささやいたりしたこともあった。先生の言葉や所作をつぶさに感じられる場所にいたが、美智子妃が全幅の信頼を置かれるだけあって素晴らしい人格者であるとともに、時には人間的な面白味も持ち合わせたほほえましく温かみの感じられる先生だった
先日は信州大学や東京医科歯科大学の神経内科の教授をされておられた塚越広先生の訃報の通知があった。若いころ、仰ぎ見ていた先生方が亡くなられていく。
