Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

南九州病院での講演(後)(2019/02/14) 

一階に下りると筋ジス5病棟で、最初の部屋が和行の部屋である。小学校の頃に入学、デュシェヌ型筋ジストロフィーと思っていたらベッカー型の良性で、50歳を超えた現在も鼻マスク型の呼吸器ですんでいる。
   「先生、今日は記念日なんです」とのっけから笑顔で話しだす。「入院した日です。一週間で帰ると言われて来たんですがね・・・気が付いてみれば44年経ったことになります」という。
   思わず絶句したが、当時の筋ジスの小学生は「ちょっと入院して」と言われて連れて来られた患者が多かった。山田君の所にも顔を出したが、和行より一年早く入院したという。
   昭和40年代後半から50年代初めの頃は地域の学校には筋ジスだと入学できず、養護学校を紹介されるのが普通だった。義務教育を受けるとなると養護学校の選択しかなかったのである。
   現在の状況から当時の養護学校教育を論じるとき、賛否両論があるだろう。当時も識者のなかには反対する人も多かったことは否めない。
   ただ一方ではあの頃の筋ジス病棟は「ユートピア的世界」ではなかったかという意見もある。一昨年、下関の梶山さんを訪ねた時に「古き良き病棟という感じでしたね」という表現を使っていた。「笑ったり泣いたり怒ったりと、人間臭さがありました」。
   南九州病院の筋ジス病棟も、入院していた患者さんの病状も軽く、スタッフも若く元気があり、「この病気とそして病気の人をどうにかしたい」という強い使命感に燃えた若いスタッフが集っていた。私も医師なのか、学校の先生なのか、生活指導員なのかわからないこともあった。
   でも当時の筋ジス病棟の評価(患者さんにとって)については良かったのか、悪かったのか今もってよく分らない。もしあのような病棟がなかったとしたら、当時のさまざまな状況を考えたら、もっと大変だったのではないかとも思うのである。
   最後に神経内科病棟の4病棟に立ち寄り、北吉さんの部屋に入った。奥様がおられたが、年末よりだいぶ落ち着いておられたが、コミュニケーションはできずじまいだった。
   講演は17時半から大会議室で行われた。川畑院長が司会をしてくれて、懐かしい面々がたくさん出席してくれていた。看護部では若い看護師さんに出席を呼びかけたということで、私から見た「あらまほしき」看護について話をした。それはベッドサイドで寄り添い、耳を傾けてくれる看護師だが、DPC医療の現代の看護では、思ってもできない部分も多い。18時30分、きっかりに終わったが、いつも反省することだが「盛り過ぎて消化不良の部分も多かったのかも知れない」と思うことである。でも古巣での講演、思い出に残る楽しいひとときになった。