Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

大分県重症難病患者医療ネットワーク研修会(中)(2019/02/05) 

11時半過ぎに会場に着くと、神経内科部長の後藤先生がすでに待ってくれていた。しばらくして後藤院長も来られて一緒に弁当を食べた。副師長だという女性からお茶やコーヒーのサービスを受けたが、会場設営や司会も含めて担当職員などてきぱきと仕事されており、快い接遇に感心した。
   その後ロビーで、この雪の中を来てくれた東さん(モンブランというお菓子屋さんを営んでおられたご主人が亡くなられ、東さんはその後も大分県ALS協会の活動を続けられておられた)やALSの夫を6年ほど前に亡くされた本田さん(豪快なご主人で、胃瘻にビールを注いでいた)、そしてALS協会の仕事も手伝っておられた上原さんなどと、楽しく談笑した後、みんなで記念写真を撮ってもらった。
   研修会は13時丁度に始まった。会場はこのホールの中会議室で200人ほどが入れるスペースで、今回のような内容の話をするには一番いい広さである。荒天にもかかわらず多くの人が参加してくれていた。後藤院長の簡単な挨拶の後、私が「生きること/死ぬること、(神経難病患者の自己決定)」というタイトルで90分ほど講演した。
   当初は今放映中の「こんな夜更けにバナナかよ」にちなんで筋ジス患者のことを話そうと思ったが、今年度のテーマが神経難病患者の意思決定支援だと聞いて、急きょ変更した。
   話の流れとしては、ナラティブに、ALS(時空を超えて)、難病法の成立過程、難病相談支援センター(医療相談など)、難病の倫理と自己決定、人生会議(死生観の再構築を)とした。
   特にALSなど難病患者の自己決定についてはいつも悩ましく難しい問題であるが、真正面から考えてみようと思った。ALS患者にとって避けられない呼吸不全になった時に、人工呼吸器を装着するか否か、そして装着した呼吸器を病状が進行して意思疎通などが完全にできなくなった時に外すかどうかという問題である。
   前者は国立病院機構医王病院医療福祉部ソーシャルワーカーの中本富美さんが、昨年の日本難病ネットワーク学会で発表された「自己決定支援について考えるー協働とソーシャルワーカーの役割について」を、引用させてもらった。
   これは50歳の時にALSを発症し、仕事を続けながら呼吸器を装着することなく57歳で呼吸不全で亡くなった男性の物語である。なかでも「療養の場の選択」における語りの部分が印象に残った。
   「自分は縁あって、この家に来ました。(養子)妻の家は女の子2人で親父さんが喜んでくれて。この家の一代をつなぎ、子どもたちに渡せる。まぁ役割は果たしたでしょう。ここは田舎でしょう。ここでは戸主がいて、村のことができて、ここに住まいができる。その役割もこなしてきました。この家で、この村でずっとささやかに暮らしてきたのですから、ここから逝きたいです」。