大分県重症難病患者医療ネットワーク講演(後)(2019/02/06)
後者は厚労省の研究班(私は分科会会長だった)「難病医療の包括的検討」の板井孝壱郎教授(宮崎大学)が発表したTさんのケースに関するアンケート調査の分析を使用させてもらった。
Tさんは1940年の生まれで千葉県在住の男性、49歳の時にALSと診断をうけ、人工呼吸器を装着し約20年在宅療養を行っている。T氏はかねてから「家族や友人、医療スタッフらとの意思疎通があってこそ、人間らしく生きられる」と考え、意思疎通が全くできなくなったら「人工呼吸器を外してほしい」と願っていた。
妻、長男、長女、次男の全員がT氏の考えを深く理解し、家族全員の署名も添えて、2008年4月に主治医に『私の要望書』として提出した。主治医は、本人の意思を何度も確認し、家族にも一人ひとり面談した上で、病院の倫理委員会に『私の要望書』ならびに家族の署名を提出して、「コミュニケーションが完全に取れない状況が続いたら、人工呼吸器を外せるか否か」についての判断を求めた。病院の倫理委員会は1年以上も慎重な議論を重ねた後、「T氏の意思を尊重しないことが倫理に反する」(委員長)として本人の希望する「栄光ある撤退(人工呼吸器を外して死亡すること)」を受け入れた。しかし病院長は「人工呼吸器を外すことは自殺幇助や殺人の罪に問われる可能性が高い」としてこの決定容認を拒否したという事例である。
いわゆるこの問題に関心のある識者にアンケートを行った。その結果は違法性阻却(違法と推定される行為の中で、特別な理由で違法がないとすること)は不可能とするが「不可能が5人、「可能が8人」、「答え難いが3人」という結果だった。
人工呼吸器の装着、取り外しは人命に直結する問題で、悩ましくいつも難しい。ただ人間の命は有限であり、最終的に決定して行くのは自分しかいない。コミュニケーションを密にし、状況をよく分ったうえでの決断なら従うのが本筋だと考える。
15時からはシンポジウムで3人の方々(西別府病院の看護師など)が、意思決定に関する話題の提供を行い16時過ぎまでディスカッションとなった。
会場のビーコンプラザからタクシーで、今夜宿泊予定のホテルアーサーに向かった。ホテルは別府駅から歩いて3分ほどで、ロビーには旧第三内科の中里先生が待ってくれていた。17時30分までの小一時間、コーヒーを飲みながら楽しい四方山話となった。
17時半からはホテル近くの辿(てん)というお店(パンフレットには潮流に恵まれた豊後水道の海の幸、九州の雄大な大地で育った黒毛和牛)で、後藤院長や副院長、西別府病院の神経内科の先生などが集まって懇親会を開いてくれた。料理も美味しく、話題も共通することも多く、時折聞こえてくる大阪なおみのテニスの結果に一喜一憂しながら肩の凝らない懇親会となった。
辿から帰って、館内にある温泉に入ったが、独り占めで快適だった。やはり温泉はいいものだ。
翌朝、いつものように早く起きて、窓の外を眺める。雪はやんでいて、好天になりそうな気配である。7時からの朝食をかけ込んで駅へと急いだ。幸いにも7時55分発のソニック10号の指定席をとることができた。
博多駅で新幹線みずほ(がらがらの空席)に乗り換え、12時前には鹿児島中央駅に着くことができた。当初は久留米で途中下車して昼食でもと考えたが、あいにく息子がインフルエンザに罹ったようである。
Tさんは1940年の生まれで千葉県在住の男性、49歳の時にALSと診断をうけ、人工呼吸器を装着し約20年在宅療養を行っている。T氏はかねてから「家族や友人、医療スタッフらとの意思疎通があってこそ、人間らしく生きられる」と考え、意思疎通が全くできなくなったら「人工呼吸器を外してほしい」と願っていた。
妻、長男、長女、次男の全員がT氏の考えを深く理解し、家族全員の署名も添えて、2008年4月に主治医に『私の要望書』として提出した。主治医は、本人の意思を何度も確認し、家族にも一人ひとり面談した上で、病院の倫理委員会に『私の要望書』ならびに家族の署名を提出して、「コミュニケーションが完全に取れない状況が続いたら、人工呼吸器を外せるか否か」についての判断を求めた。病院の倫理委員会は1年以上も慎重な議論を重ねた後、「T氏の意思を尊重しないことが倫理に反する」(委員長)として本人の希望する「栄光ある撤退(人工呼吸器を外して死亡すること)」を受け入れた。しかし病院長は「人工呼吸器を外すことは自殺幇助や殺人の罪に問われる可能性が高い」としてこの決定容認を拒否したという事例である。
いわゆるこの問題に関心のある識者にアンケートを行った。その結果は違法性阻却(違法と推定される行為の中で、特別な理由で違法がないとすること)は不可能とするが「不可能が5人、「可能が8人」、「答え難いが3人」という結果だった。
人工呼吸器の装着、取り外しは人命に直結する問題で、悩ましくいつも難しい。ただ人間の命は有限であり、最終的に決定して行くのは自分しかいない。コミュニケーションを密にし、状況をよく分ったうえでの決断なら従うのが本筋だと考える。
15時からはシンポジウムで3人の方々(西別府病院の看護師など)が、意思決定に関する話題の提供を行い16時過ぎまでディスカッションとなった。
会場のビーコンプラザからタクシーで、今夜宿泊予定のホテルアーサーに向かった。ホテルは別府駅から歩いて3分ほどで、ロビーには旧第三内科の中里先生が待ってくれていた。17時30分までの小一時間、コーヒーを飲みながら楽しい四方山話となった。
17時半からはホテル近くの辿(てん)というお店(パンフレットには潮流に恵まれた豊後水道の海の幸、九州の雄大な大地で育った黒毛和牛)で、後藤院長や副院長、西別府病院の神経内科の先生などが集まって懇親会を開いてくれた。料理も美味しく、話題も共通することも多く、時折聞こえてくる大阪なおみのテニスの結果に一喜一憂しながら肩の凝らない懇親会となった。
辿から帰って、館内にある温泉に入ったが、独り占めで快適だった。やはり温泉はいいものだ。
翌朝、いつものように早く起きて、窓の外を眺める。雪はやんでいて、好天になりそうな気配である。7時からの朝食をかけ込んで駅へと急いだ。幸いにも7時55分発のソニック10号の指定席をとることができた。
博多駅で新幹線みずほ(がらがらの空席)に乗り換え、12時前には鹿児島中央駅に着くことができた。当初は久留米で途中下車して昼食でもと考えたが、あいにく息子がインフルエンザに罹ったようである。
