Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

宇沢弘文(2)(2019/01/23) 

父は、「ヒポクラテスの誓い」についてもよく語っていました。私は医学生時代、「大学でヒポクラテスの誓いを学ぶ機会なんてないから」と反論していましたが……。
   ――「ヒポクラテスの誓い」について、どんなことを語られていたのですか。
   今から推察するに、「医師はなぜ患者から信頼を受けるのか」を伝えたかったのだと思います。医師が信頼されるのは、ヒポクラテスの時代、あるいはそれ以前から、病気で困っている人に対して、真摯に、かつ高い倫理観を持って、医療を提供していたからに他ならないからです。医師免許を取得した途端に、「先生」と呼ばれると、「俺って、すごいんじゃない?」と誤解する若手もいると聞きますが、それは自分の手柄ではなく、先人達が信頼を積み上げてきた結果であると感じています。・・・
 (私も「ヒポクラテスの誓い」について学生時代に学んだことはなかったが、看護学生に生命倫理の授業をするときに、あらためて目にしていた。「医師が信頼されるのは、病気で困っている人に対して真摯に、かつ高い倫理観を持って医療を提供していたからに他ならない」はまさにその通りかと思う)。
   父は「医療の本質は、サービスではなく信任である」ともよく言っていました。サービスであれば、お金を受け取った分だけ提供するという発想ですが、医師と患者は、「困った状態の時に、患者は信任し、医師に託す。医師はそれを受けてベストを尽くす」という関係にあります。突き詰めて言えば、インフォームド・コンセントも必要がないくらいの人間関係が出来上がることが、一番高い目標なのではないでしょうか。
   「医師をはじめとする医療集団がプロフェッショナルとして機能していれば、そこにかかる費用は全てカバーし、経済学者はそのためのシステムを作るべきだ」というのが父の主張でした。もっとも、医療者が単に「医療は、社会的共通資本だから守ってください」「診療報酬を上げてください」などと言っているだけでは、この考えは通用しないでしょう。
   ――プロフェッショナルとして倫理的な行動をしていることが前提になる。
   その通りです。今の保険点数制という矛盾にはらんだ制度のもとで医療が成り立ってきたのは、医療者の倫理観があったからだと信じています。医療が「社会的共通資本」に位置付けられるのも、この前提があればこそです。
   「社会的共通資本」は、とても汎用性の高い理論であるが故に、「社会的共通資本という概念を正しく理解してほしい」と思い、いろいろな活動を始めています。医療や教育、そして自然環境なども社会的共通資本です。しかし、私は医師ですから、実体験を基に語った方が説得力を持てると思い、倫理観の向上、死生観の再構築、内科診断学の再評価――を3本柱に活動しています。