Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

沖野先生のご逝去(前)(2019/01/17) 

昨年(2018年)末に亡くなられた沖野秀一郎先生のご逝去を、南日本新聞の朝刊で知ることになった。一般的な言い方では、92歳の大往生といえる。亡くなられる前にもう一度お会いしておけばよかったと思うのだが、これも後の祭りである。長年にわたって、いろんな面で大変お世話になった先生である。最後にお会いしたのは確か南風病院の消化器外来の待合室ではなかっただろうか(長男の葬送式での挨拶によると、この8月ごろから体調をこわしていたようである)。娘さんに付き添われて椅子に腰かけておられた。二言三言言葉を交わしたのが、最後の会話になってしまった。
 先生はキリスト教徒だったので、「日本キリスト教団鹿児島加治屋町教会で、前夜式(通夜)と葬送式(告別式)が執り行われる」との案内をもらった。奥様が熱心な教徒で、先生もご一緒に日曜教会に出席したりしておられたが、2004年に胃潰瘍の出血で入院されたことも契機になって、2004年4月に受洗されたということを牧師から葬送式で聞いた。
 前夜式はあいにく病院の忘年会と重なっていたので、葬送式に参加することにした。12月14日、午前10時30分からの開始だったが、清楚な小さな花のきれいな飾りの中央に、沖野先生の柔和なお写真が飾られていた。
 招詞と言われる牧師の朗読と讃美歌、参列者全員で主の祈りを朗読した。再び讃美歌が合唱され、牧師が長い式辞を述べられた。そのあと再び讃美歌があり、鹿児島市医師会長の上ノ町先生による略歴や業績紹介され、加治屋町教会会員の田尻さんから個人的な思い出などが語られた。 
 先生は1926年のお生まれで、1944年に県立第二中を、1949年に鹿児島県立大学医学専門学校を卒業されている。1950年に名古屋大学医学部第一内科に入局し学位などを取った後、1960年から鹿児島市で医業を始めておられる。1968年に鹿児島市医師会理事になり、1987年には会長代行を務められ、医師会病院や検査センターの設立に尽力されている。
 そのあと、先生は鹿児島交響楽団の熱心な支援者だったこともあって、弦楽四重奏の追悼演奏も行われた。弔電の披露の後、讃美歌、終祷、後奏、長男の秀紀先生の挨拶、最後に献花となった。秀紀先生の短くて、それでいて感極まる挨拶もよかった。終わった時には12時を過ぎていた。
 先生は細やかなところまで気の付く性分でそして世話好きで、私が新聞に載ったりすると真っ先に電話をくれて励ましてくれたものである。早い時には朝6時ごろには電話が来て、家内が「主人は病院に出ております」と返事をすると、いつものように笑い声で「相変わらず、早かもんじゃ」と言われたのち、家内とひとしきり話をするのを楽しみにされていたようである。