Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

祖父江逸郎先生(前)(2015/03/17) 

3月11日、あの東日本大震災からまる4年が経ったことになる。前夜は井形先生に素晴らしい日本料理をご馳走になって、ダイワロイネットホテル名古屋駅前に宿泊、朝起きて窓の外に目をやると街路樹の根本には雪が積もっている。そういえば昨夜は暴風雪が吹き荒れ、前が見えにくいほどだった。
 時間を少しさかのぼる。
 愛知県医師会館での講演の後、難病相談室の一室で司会をしていただいた祖父江逸郎先生と一時間ほどいろいろなお話ができて、とても楽しかった。先生は神経学会では文字通りの重鎮であり、数々の伝説にも彩られた先生である。今回の講演でも司会が祖父江先生と聞いて息子さん(名古屋大学神経内科教授)の方かと思ったら、逸郎先生と聞いて恐縮した次第である。ところが二人きりの話となると、とても気さくで気兼ねすることなくさまざまな話題で楽しんだ。
 先生の簡単な略歴は、次のようなものである。1921年、名古屋市生まれ。名護屋帝大、海軍医学校を経て軍医中尉となり戦艦「大和」に着任。乗り組み軍医としてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に従軍した。1945年1月に海軍兵学校に異動となり、江田島の大原分校に転勤して終戦を迎える。現在、名古屋大学・愛知医科大学名誉教授、そして現役の長寿科学振興財団理事長、愛知県難病対策協議会会長である。
 ご自身のインタビュー記事では「私は永久軍医志願でしたので、大学卒業後ただちに海軍に入隊、青島での厳しい特訓、軍医学校での軍陣医学の教育を受け、軍医中尉に任官、幸い「大和」乗組を命ぜられ、呉軍港停泊中の「大和」に着任しました。あの素晴らしい、美の頂点を極めたとされる世界一の巨艦「大和」乗組になれたことは、人生の一期一会で、これほど大きな喜びはなく、感激の極みでした」と語っておられる。また、大和からの生き残りのお一人としても有名であるが、そこには次のような事情があったそうである。
 戦艦大和の軍医であったが、当時の上層部の適切な判断(全国の医療系大学、専門学校学生約700名のうち、大学での成績が一番であった学生:先任学生)により、最後の戦いの前に転勤命令が下ったのだという。
 この件については直接祖父江先生のお話を伺うことはなかったが、私が「スモンという病気がなければ、私が井形先生にお会いすることもなかっただろうし、今日ここで講演する機会もなかっただろうと思います」と話すと、「人生は一期一会で、ここでこうして生きておられるのも、ちょっとした偶然からです。あの大和の乗組員でも、寸前のところで命をもらった人もいました。大和が最後には特攻として玉砕するということは軍の機密でしたので、その話を聞いている上層部の士官はある時期から退艦は許されませんでした。ところが私に続く軍医の一人は、上官からお前は下艦せよと突然命令され、周りの反対を押し切ってその上官が命令を取り消さなかったので結果的には九死に一生を得たということになります」というような秘話も話してくれた。