Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

高齢者の医療(後)(2015/03/12) 

ところが、である。
 先日の五反田クリニックの主宰した在宅支援連携カンファレンスで、訪問看護ステーションから発表された事例は「在宅と医療をつなぐために訪問看護に必要なことは何か~患者・家族の気持ちと医療者との気持ちのずれを考える~」と題するものであったが、大まかに要約すると次のような内容だった。見方により、立場により、考え方には大きな隔たりが生じる。
 99歳の女性で、夫と二人で多くの子どもたちを育て上げた。行商から始めた店を9-0年近く続けてきて、現在は有料老人ホームで暮らしている。心不全と腎不全があり、心不全による呼吸不全が悪化したため、救急指定病院に入院となった。
 救急指定病院では、一応心不全に対して利尿剤の投与があったが、キーパーソンの娘さんの話では「99歳と言う年齢を考えると、もういいのではないですか」と死を受け入れるように医師から言われたという。しかし家族が「治療」を希望したので利尿剤と点滴が開始となった。患者の容態は、苦悶様の顔貌で食事も会話もできなかった。医師からは「高齢で治療は難しいので、同意書にサインを求められ、死が近い」との説明があった。
 娘さんの気持ちとしては「99歳であっても生きてほしい。たとえ亡くなっても安らかに死なせたい」という思いであった。主治医に相談すると「モルヒネしかありません」と言われた。
 たまたま以前の主治医に会ったので状況を話すと、「施設に帰ってきたら、診ますよ」と言われた。2日後に病院の職員は「搬送中に亡くなるかも知れません」と言われたが、退院することになった。施設に帰ると「○○さん大歓迎」の横断幕があり、娘さんは感激した。退院と同時に医師の往診、担当者(施設責任者、ヘルパー、ケアマネ、訪問看護師)の会議が開かれた。
 現在、掻痒や痛みの訴えはない。介護の方の工夫や努力、娘さんの手作りスープ、お菓子など「おいしい」の言葉も聞かれるようになった。尿留置も抜去し、毎朝訪問看護師が間欠導尿をしている。
 考察として、年齢と命の重さは関係ない。医療者は平穏死の押し付けをしていないか、家族と共に考える姿勢があるのか、家族の死の受け入れの内容の確認がどこまでできているのか、と言う医療側には厳しい意見が出された。
 娘さんからは「なんかの機会があれば救急病院に、『こんなに在宅で(有料老人ホームの意味か)元気です』」と伝えて欲しいとの依頼があったという。
 娘さんの親を思う気持ちもよくわかる。であれば救急病院に送ることなく、初めからこのホームで治療できなかったのかと思うのが、救急病院側の考えだろう。今後の超高齢社会では、家族もまた現在療養されている施設、あるいは在宅(家)で最期まで看取るといったような覚悟も必要になってくるのではないだろうか。
 今後、このようなカンファレンスを利用して本音の議論の必要なときである。