Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

ワーク・ライフ・バランス(2015/07/24) 

「一度しかない人生、エンジョイしないと後悔するよ」とよく言われる。確かにそうだし、私には耳の痛い言葉である。とはいえ、人に誇れるような趣味はないし、仕事が趣味のようなモノである。高尚な趣味を持っている人が心底うらやましい。
 20歳代後半、都立府中病院の神経内科で一緒に臨床をしながら、夜男3人で渋谷のドイツ語学校に通った仲間の佐橋先生から、同じ仲間の馬場先生の近況がメールで送られてきた。馬場先生は府中病院から母校の弘前大学に帰った後、ロンドンに留学、電気生理のエキスパートとして活躍していた。そのまま弘前大学の神経内科の教授になることを誰しも疑わなかったが、いろいろな事情で青森県立病院の神経内科部長に転じてしまった。
 彼は趣味の域を超えてプロ並みの評価を受けている音楽家で、特にバロック音楽のチェンバロの演奏では有名だった。先日送られてきたメールには、「この春、バッハの生地アイゼナハやバッハの墓があるライプチヒの聖トーマス教会などで演奏会をしてきました。・・・小生、この30年は週2回音楽三昧で癒されてきました。月は弘前バッハの練習で、水は医学部オーケストラの指揮です。いまも現役で、当分続けさせてもらおうと思っています。・・・」とある。
 最近、「ワーク・ライフ・バランス」とか「ワークホリック」という言葉をよく耳にする。日本語に訳すと、「仕事と生活の調和」、そして後者は「仕事中毒」ということになる。先日のEテレでも、スエーデンの女性の仕事への進出とそれを支える環境、そして男性の協力について識者の意見も交えながら論じていた。まさに仕事と生活が調和しており、一見豊かな人生を感じさせるストーリーだった。
 もう随分前の日経新聞の「領空侵犯」というコーナーのインタビュー記事で、元国連事務次長の明石康氏が「仕事と生活の比重 人それぞれ」というタイトルで自らの主張を述べておられるが、私としては素直に共感できる部分が多かった。
 もともとこの 「ワーク・ライフ・バランス」という概念が、「仕事と家庭との役割の不調和が、本人の心身上の健康にも、企業の生産性にも悪影響を及ぼしかねないという問題意識から発展してきた」という経緯がある。そのため「仕事に比重を置いた人生がまるで悪であるかのような批判」には違和感を感じるし、「働く意義を軽んじている印象を受ける」と語っている。そして欧米ではこの調和がよくとれているように日本では風潮されているが、国連で働いた経験では必ずしもそうでなく、「国籍や人種に関係なく、ワークホリックの人は存在する」とも言っている。
 私が留学していたメイヨークリニックの8階は神経科学の研究棟で、そこには末梢神経と筋肉の研究では世界を代表する二人の巨頭の研究室が隣り合わせで並んでいた。末梢神経のディック先生(昔々、南九州病院の筋ジス病棟を回診してくれたこともある)は研究と生活のバランスをとることの上手い人で、週末は自分の別荘で優雅に過ごすことが多いと聞いていた。ところが私のボスのエンゲル先生は、週末も正月もなく、朝から夜遅くまで研究一筋の生活を送られていた。休みは学会などで出張する時だけである。私たち日本から来たフェローも、もともとワークホリックな生活を送ってきた人が多かったので、何一つ違和感を感じなかった。その時に分かったことであるが、エンゲル先生に限らずアメリカのいわゆるエスタブリッシュメントと呼ばれる人たちの多くは、ワークホリックなのだと聞いたことがある。
 もともと仕事と生活は二者択一のものではないし、相対立するものではない。また仕事と生活を区別し、バランスさせることが望ましい人ばかりではなく、仕事オンリーの生活を送っていても幸せな人もいる。若いころはワーク・ライフ・バランスなど主張しないで、死ぬほど仕事すべしという人もいる。
 いずれにせよ本来はワークもライフも充実させることが理想的なわけで、ワークの充実がライフの充実をも生むといったような生活スタイルが望ましいのはわかっているが、これがなかなか難しい。藤沢周平は「ふだんから100%の会社人間であることをやめて、20%は自分のために取っておく」と書いているけど、これが現実には難しい。「もう少しライフをエンジョイしてもよかったなあ」というのも私の本音でもあるが、そんな器用さは持ち合わせていなかった。