海の蝶(2015/07/03)
私が今も捨てずに大切に持ってきた本の一つが「海の蝶」という本で、約20年前の1994年(平成6年)10月が初版となっているから、私が南九州病院で副院長をしていた時代である。その理由の一つが、私が懇意にしている先生がモデルとして描かれているからである。
作者は「風の盆恋歌」で知られる直木賞作家の高橋治(たかはし・おさむ)で、6月13日に肺炎のために死去した。略歴は昭和4年の生まれで東大文学部を卒業後、28年に松竹大船撮影所に入り、同年に巨匠・小津安二郎監督の代表作「東京物語」の助監督を務めた。40年に退社するまで計8本の監督作品を残した。退社後は演劇の世界に転じ、執筆活動へ。59年に「秘伝」で直木賞を受賞した。
6月24日の日経の畏友記では、映画監督の篠田正浩が「教養主義の名残」というタイトルで、悼む話を興味深い内容で寄稿している。篠田と高橋は撮影所に入ったのが同期で、多くが新制大学出身という中で「源氏物語や古典に造詣の深い高橋が唯一の話の合う相手だった」という。篠田は早稲田大学で中世・近世の芸能を専攻していたが、箱根マラソンに出場したという経歴だけが注目されていて不本意だったようである。
二人は高橋が篠田の1972年の札幌オリンピックの記録映画を酷評したので長く関係を絶っていた。1980年にアメリカで再会し、昔の親しさが何もなかったかのように戻ったという。「大島渚に続いて高橋が逝き『松竹ヌーベルバーグ』と呼ばれた仲間も少なくなった。生きていることの重さが疎ましくすら思える」と結んでいる。
ところで「海の蝶」であるが、「父と娘二人暮らしの日下由香里は、若き表具師としてその腕をふるっていたが、いつからか全身の筋肉が衰えていく難病(ALS)に侵されていた。自分の余命が限られたことを知った由香里は、一人家を出て和歌山、岡山、そして蝶の舞う八重山列島に魅入られたように向かう」とある。
さて岡山での国立療養所備南病院の神経内科医師、山脇倫子先生(実際は南岡山病院の難波玲子医師)との出会いが、約30ページにわたって描かれている。ALSの確定診断に訪れるのだが、由香里を自分の家に招いて、一緒にすき焼きを食べる。調理場ですき焼きの準備をする由香里を見ながら、「どうも、私に欠けている女の部分を、あなたは沢山持ち合わせていそうね。だから下手に手を出さない」と倫子は宣言して、冷蔵庫から冷えた缶ビールを出してくると、テーブルに座ってしまった、という部分は個人的には実に面白い。後日難波先生に聞いたところでは、高橋治は綿密な取材をされたというから「私に欠けている女の部分・・・」の表現は正鵠を得ている。難波先生はきめ細やかな部分は隠して、実にさっぱりしている女性だからである。現在は機構を辞めて開業しALSなど難病の在宅医療を実践しながら、研究班や学会で自らの研究成果や思いを発表されている。
私と難波先生との付き合いも、ちょうどこの頃始まったように記憶している。岡山で国立病院学会があったときには、我々数人をマイクロバスに乗せて、武蔵の里の温泉に連れて行ってくれたこともあった。高速をブッ飛ばすので、ひやひやした思い出がある。またいつかは、息子さんと実母と鹿児島にみえられたので、与次郎のザボンラーメンに連れて行ったこともあった。昨年の日本難病ネットワーク学会にも来てくれたので、薩摩料理の熊襲亭に案内した。
作者は「風の盆恋歌」で知られる直木賞作家の高橋治(たかはし・おさむ)で、6月13日に肺炎のために死去した。略歴は昭和4年の生まれで東大文学部を卒業後、28年に松竹大船撮影所に入り、同年に巨匠・小津安二郎監督の代表作「東京物語」の助監督を務めた。40年に退社するまで計8本の監督作品を残した。退社後は演劇の世界に転じ、執筆活動へ。59年に「秘伝」で直木賞を受賞した。
6月24日の日経の畏友記では、映画監督の篠田正浩が「教養主義の名残」というタイトルで、悼む話を興味深い内容で寄稿している。篠田と高橋は撮影所に入ったのが同期で、多くが新制大学出身という中で「源氏物語や古典に造詣の深い高橋が唯一の話の合う相手だった」という。篠田は早稲田大学で中世・近世の芸能を専攻していたが、箱根マラソンに出場したという経歴だけが注目されていて不本意だったようである。
二人は高橋が篠田の1972年の札幌オリンピックの記録映画を酷評したので長く関係を絶っていた。1980年にアメリカで再会し、昔の親しさが何もなかったかのように戻ったという。「大島渚に続いて高橋が逝き『松竹ヌーベルバーグ』と呼ばれた仲間も少なくなった。生きていることの重さが疎ましくすら思える」と結んでいる。
ところで「海の蝶」であるが、「父と娘二人暮らしの日下由香里は、若き表具師としてその腕をふるっていたが、いつからか全身の筋肉が衰えていく難病(ALS)に侵されていた。自分の余命が限られたことを知った由香里は、一人家を出て和歌山、岡山、そして蝶の舞う八重山列島に魅入られたように向かう」とある。
さて岡山での国立療養所備南病院の神経内科医師、山脇倫子先生(実際は南岡山病院の難波玲子医師)との出会いが、約30ページにわたって描かれている。ALSの確定診断に訪れるのだが、由香里を自分の家に招いて、一緒にすき焼きを食べる。調理場ですき焼きの準備をする由香里を見ながら、「どうも、私に欠けている女の部分を、あなたは沢山持ち合わせていそうね。だから下手に手を出さない」と倫子は宣言して、冷蔵庫から冷えた缶ビールを出してくると、テーブルに座ってしまった、という部分は個人的には実に面白い。後日難波先生に聞いたところでは、高橋治は綿密な取材をされたというから「私に欠けている女の部分・・・」の表現は正鵠を得ている。難波先生はきめ細やかな部分は隠して、実にさっぱりしている女性だからである。現在は機構を辞めて開業しALSなど難病の在宅医療を実践しながら、研究班や学会で自らの研究成果や思いを発表されている。
私と難波先生との付き合いも、ちょうどこの頃始まったように記憶している。岡山で国立病院学会があったときには、我々数人をマイクロバスに乗せて、武蔵の里の温泉に連れて行ってくれたこともあった。高速をブッ飛ばすので、ひやひやした思い出がある。またいつかは、息子さんと実母と鹿児島にみえられたので、与次郎のザボンラーメンに連れて行ったこともあった。昨年の日本難病ネットワーク学会にも来てくれたので、薩摩料理の熊襲亭に案内した。
