Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

冬牡丹(2015/01/05) 

日本には「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」という言葉がある。芍薬も牡丹もともに美しい花であり、百合は清楚な花であることから、美人の見め麗しき姿や振る舞いを花に見立てて形容する言葉である。
牡丹は一般的には4月から6月に開花するが、特別な管理で冬に咲く牡丹を「冬牡丹」といい、雪から守るために藁囲いをするのである。
日高君に描いたこの冬牡丹、藁囲いとうまくマッチして、見るものを清々しい気分にさせてくれる。
当時日高君の短歌の指導をされていた川涯利雄先生は、歌集「花のちから」のあとがきに次のように書かれている。
・・・筋ジストロフィーという過酷な運命にさえ感謝し、遠からず来るに決まっている死さえ受け入れて、しずかな心で日々を過ごしています。みごとな達観です。
(私は筋ジス患者の心持ちを、この「達観」という二文字はよく現していると思う)。
 2014年3月14日、自分の行く末を悟った日高君は、友の山田君に「短歌」を託して、
その年の5月に旅立った。
・先に逝くわれを許して下さいね! この世に生(あ)れて幸せでした。
・けふ会へた 君の笑顔を眼(め)にきざむ 私は明日眠りにつくから
・明日の朝 目覚めることを願いつつ 疲れて落ちる眠りの中へ
・残された 私の時が僅かなら 生きた証を詠ひ綴らむ
・桜咲く 季節を今年も越へにけり 命の残りわずかとなりぬ
 この五首の短歌を読むにつけ、見事な「達観」という他はない。自らの死とこのように冷静に立ち向かうことができるということは、並大抵のことではない。このような境地に達することができるのは、小さい頃からの過酷な運命を少しずつ受け入れてきたことと、今村さんなど臨床心理士の努力に依るものと思われる。あらためて筋ジスのおおくの先人の冥福を祈ると共に敬意を表したい。