プロとコーチ(2017/02/10)
2月6日に、米国男子ツアー「ウェイスト・マネジメント・フェニックスオープン」で、ウェブ・シンプソン(米国)との4ホールに及ぶプレーオフを制し、連覇で米ツアー4勝目を挙げた松山英樹。英・米専門誌がスイング絶賛し、「松山は教科書以上だ」と称賛している。松山の場合、スイングコーチがおらず、プレー中全ての責任を全部自分で取っているという。
山本五十六の有名な言葉に「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ・・・」というものがある。また「人間、自分のことはわからない」と言われるが、この言葉もよくいい得ている。
昔から芸術の世界、例えばピアノやバイオリン、また絵画などではプロフィールに、○○先生に師事という一行がよく付け加えられている。一方、プロスポーツの世界でも専属のコーチがついているのが普通のようである。一流と呼べる人たちの技術の差はほとんどないといっていいだろうから、ちょっとした調子の良し悪しで、大きな順位の差となって表れる。そこでプロのコーチのアドバイスは貴重である、特にスランプに陥った時には。
ゴルフでいえば、微妙なスウィングの狂いなど、自分では気がつかないのが普通だろう。そのようなスランプに陥った時に技術面での状態を見極め、適切なアドバイスをしてくれる客観的な眼を持つコーチが傍にいるとしたら本当に心強い味方になるだろう。あのタイガーのコーチだったブッチ・ハーモンの名前は有名である。その後タイガーは決別し一時の勢いをなくし、現在は怪我からの再起に苦闘している。
ところが日本の一流選手は松山も石川もいわゆる有名コーチにはついていないようである。それでも昨今の松山など、あれだけの成績を収めることができるのは凄いことだといってよい。
一方、錦織圭もマイケルチャンのコーチの指導で一皮むけたといわれている。錦織は5歳でテニスを始め、小学生のころから全国規模の大会で活躍した。松岡もコーチを依頼されたが、とても指導できるような能力のレベルではないということで、自分やボリス・ベッカーを育てた名コーチ、ボブ・ブレット氏(オーストラリア)に師事をお願いしたという。
視点を変えればこのようなことは我々医師の世界でもいえることである。自分の身内の診断は客観的に見れないので、診察を的確にできないこととも似ている。「そんなに悪いはずがない」と思ってみたり、逆に「最も悪い状態を心配する」など、冷静に評価できないものである。
また医師に限らずどの職種にも言えることだが、若い人は自分の目標とする先輩から教えを請いながら、時には直接の指導を受け、少しずつ心身共に腕を磨いていくのが常である。
山本五十六の有名な言葉に「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ・・・」というものがある。また「人間、自分のことはわからない」と言われるが、この言葉もよくいい得ている。
昔から芸術の世界、例えばピアノやバイオリン、また絵画などではプロフィールに、○○先生に師事という一行がよく付け加えられている。一方、プロスポーツの世界でも専属のコーチがついているのが普通のようである。一流と呼べる人たちの技術の差はほとんどないといっていいだろうから、ちょっとした調子の良し悪しで、大きな順位の差となって表れる。そこでプロのコーチのアドバイスは貴重である、特にスランプに陥った時には。
ゴルフでいえば、微妙なスウィングの狂いなど、自分では気がつかないのが普通だろう。そのようなスランプに陥った時に技術面での状態を見極め、適切なアドバイスをしてくれる客観的な眼を持つコーチが傍にいるとしたら本当に心強い味方になるだろう。あのタイガーのコーチだったブッチ・ハーモンの名前は有名である。その後タイガーは決別し一時の勢いをなくし、現在は怪我からの再起に苦闘している。
ところが日本の一流選手は松山も石川もいわゆる有名コーチにはついていないようである。それでも昨今の松山など、あれだけの成績を収めることができるのは凄いことだといってよい。
一方、錦織圭もマイケルチャンのコーチの指導で一皮むけたといわれている。錦織は5歳でテニスを始め、小学生のころから全国規模の大会で活躍した。松岡もコーチを依頼されたが、とても指導できるような能力のレベルではないということで、自分やボリス・ベッカーを育てた名コーチ、ボブ・ブレット氏(オーストラリア)に師事をお願いしたという。
視点を変えればこのようなことは我々医師の世界でもいえることである。自分の身内の診断は客観的に見れないので、診察を的確にできないこととも似ている。「そんなに悪いはずがない」と思ってみたり、逆に「最も悪い状態を心配する」など、冷静に評価できないものである。
また医師に限らずどの職種にも言えることだが、若い人は自分の目標とする先輩から教えを請いながら、時には直接の指導を受け、少しずつ心身共に腕を磨いていくのが常である。
