井形先生を偲ぶ会(中)(2017/02/02)
13時前には城山観光ホテルに到着した。記帳を済ませて「追悼文集」をもらった。実行委員会で追悼集の作成を決めたのは年末のことだったので、これほど短期間によくまとまった追悼集になったのは、井形先生を慕って寄稿した人たちの思いと編集を担当された渡辺先生の努力の賜である。
追悼集を読むと、一人一人がそれぞれに「井形先生はかけがえのない私の先生」だったことがよくわかる。そしてそれぞれに「自分が一番かわいがられた」と勝手に思い込んでいた。弟子たちにこれほど分け隔てなく平等に接することができたことも、先生の遺徳のなすところである。なかでも私がもっとも興味深かったのは、横山先生の寄稿である(というより、渡辺先生による編集者補講の部分である)。先生は平成元年に「父ちゃんの最後の一年」というノンフィクション小説を書かれ、平成23年に南方新社から出版されている。そのくだりに「井形先生のことを」書かれている部分があり、がんになったお父さん(横山先生の)との会話の中で、お父さんが次のように言われている。
「ははーん井形先生というお方は、テコたたっ(太鼓叩きの)のじょっな(上手な)お人じゃなち、思ったがよ」。「えっ?テコたたって何?」「誰かが躍っている時、よく太鼓を叩いてはやす人があるじゃないか。踊り手を鼓舞すると同時に、みんなを踊り手に注目させるとよ」。
「テコたたっ」とはよく言い得て、ニヤッとしながら感心した。
エメラルドホールに入いると、最初のホールには式典の後の懇親会用に用意された丸テーブルで、正面の壁ぎわには先生の白衣姿の写真(この写真はクリニシャンの表紙になったのもので、当時医局員にも頒布されたもので私も机の前に飾っている)が、にこやかに会場を見ておられる。
一方、式典の行われるホールの祭壇にはきれいに縁どられた多数の白い花の中央に、正式な背広姿の写真が飾られている。こちらの写真は威厳があるが、先生にはどちらかというと穏やかな方が相応しいと思った。
式典は15時に始まり、黙祷の後、「故人の紹介(スライドショー)」を宇根先生が行った。先生が鹿児島に来られた昭和46年以降の足跡を紹介されたのち、生い立ちにも触れておられた。よくまとめられており、一つ一つの写真を懐かしく思い出すことだった。
主催者挨拶として髙嶋教授(鹿児島大学 神経内科・老年病学講座)、新名会長(第三内科同門会会長)、納前教授(公益財団法人慈愛会会長)が、それぞれの立場から思い出などを語られた。的確にさまざまな角度から「井形像」に触れておられた。
そのあと、親族代表としてご長男の井形 弘様が先生の人生も含めて、私の知らない部分も話されて、なるほどと「合点」することも多かった。
献花は親族と主催者、委員、一般参加者の順で執り行われ、300人ほどの参列者だったという。鹿児島を離れられてから30年にもなるというのに、「井形ファン」は健在だった。
追悼集を読むと、一人一人がそれぞれに「井形先生はかけがえのない私の先生」だったことがよくわかる。そしてそれぞれに「自分が一番かわいがられた」と勝手に思い込んでいた。弟子たちにこれほど分け隔てなく平等に接することができたことも、先生の遺徳のなすところである。なかでも私がもっとも興味深かったのは、横山先生の寄稿である(というより、渡辺先生による編集者補講の部分である)。先生は平成元年に「父ちゃんの最後の一年」というノンフィクション小説を書かれ、平成23年に南方新社から出版されている。そのくだりに「井形先生のことを」書かれている部分があり、がんになったお父さん(横山先生の)との会話の中で、お父さんが次のように言われている。
「ははーん井形先生というお方は、テコたたっ(太鼓叩きの)のじょっな(上手な)お人じゃなち、思ったがよ」。「えっ?テコたたって何?」「誰かが躍っている時、よく太鼓を叩いてはやす人があるじゃないか。踊り手を鼓舞すると同時に、みんなを踊り手に注目させるとよ」。
「テコたたっ」とはよく言い得て、ニヤッとしながら感心した。
エメラルドホールに入いると、最初のホールには式典の後の懇親会用に用意された丸テーブルで、正面の壁ぎわには先生の白衣姿の写真(この写真はクリニシャンの表紙になったのもので、当時医局員にも頒布されたもので私も机の前に飾っている)が、にこやかに会場を見ておられる。
一方、式典の行われるホールの祭壇にはきれいに縁どられた多数の白い花の中央に、正式な背広姿の写真が飾られている。こちらの写真は威厳があるが、先生にはどちらかというと穏やかな方が相応しいと思った。
式典は15時に始まり、黙祷の後、「故人の紹介(スライドショー)」を宇根先生が行った。先生が鹿児島に来られた昭和46年以降の足跡を紹介されたのち、生い立ちにも触れておられた。よくまとめられており、一つ一つの写真を懐かしく思い出すことだった。
主催者挨拶として髙嶋教授(鹿児島大学 神経内科・老年病学講座)、新名会長(第三内科同門会会長)、納前教授(公益財団法人慈愛会会長)が、それぞれの立場から思い出などを語られた。的確にさまざまな角度から「井形像」に触れておられた。
そのあと、親族代表としてご長男の井形 弘様が先生の人生も含めて、私の知らない部分も話されて、なるほどと「合点」することも多かった。
献花は親族と主催者、委員、一般参加者の順で執り行われ、300人ほどの参列者だったという。鹿児島を離れられてから30年にもなるというのに、「井形ファン」は健在だった。
