Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

井形先生を偲ぶ会(前)(2017/02/01) 

「人は生きてきたようにしか死ねない」という言葉があるが、いい意味でも悪い意味でも真実のように思えてくる。恩師の井形先生は、昨年、ひとときも臥せることなく、自ら望んでおられたような潔い最期であの世へと旅立ってしまった。きっと先生の長年の生き方、生きてきた姿勢が、心おきない逝き方につながったように思える。ちなみに先生は長い間(11年間)、日本尊厳死協会の理事長もされておられた。
         2017年1月22日(日)に「井形昭弘先生を偲ぶ会」が、城山観光ホテルのエメラルドホールで挙行された。昨年9月3日に鹿児島市の同ホテルで予定されていた同門会主催の井形先生の「米寿を祝う会」が、8月12日の先生のご逝去で中止のやむなきに至った。そこで同門会や大学の神経内科(旧第三内科)が中心になって幹事会や実行委員会をつくり、「偲ぶ会」の準備をしてきた。特に宇根、斉藤、渡辺、有村の諸先生方は準備万端抜かりのないように準備を進められた。
         私はこの朝、いつものように院長室で日曜日の朝5時からの定番、NHK eテレ「こころの時代」を、その場足踏みをしながら観ていた。「この命を未来へつなぐ~阪神・淡路大震災から22年」というタイトルで、西宮市の西福寺の住職・豊原大成さんのお話だった。
        豊原さんは現在86歳、大震災で父、妻、娘をなくしていた。震災直後は受け入れがたい不条理感に包まれていたが、その悲しみを一人で抱えるのではなく、同じように被災した門徒さんたちとともに念仏をとなえ、阿弥陀(あみだ)如来に一心に帰依することで、少しずつ心の傷が癒やされてきたという。阿弥陀経に出てくる「倶会一処(くえいっしょ)」の話をされていた。極楽往生したら、先に極楽へ往っているご先祖や親しい人たちに会える。死んだらおしまいというのではなく、死んだ後の世で先に亡くなった人たちに会えることは希望を与えるものであると。
         そういえば井形先生も同じような言葉を残されている。2015年刊行の国立名誉院長会の機関誌「燦」のなかに,「死を越えて前向きに考えるためには、以下のようなことを提案したい」と。なんと楽観的な考え方かと思うのだが、井形先生の言葉になると真実に思えてくる。
1) 安らかな死は可能である。
2) 死ねばあの世で懐かしい人々に再会できる。
3) この世では自分のことをいつまでも覚えてくれる。
4) 天国は存在し,そこに行ける。
         偲ぶ会当日、朝方はどんよりした曇り空から小雨もぱらついていて、冬特有のしぐれ日和であったが、昼ごろには青空ものぞかれるようになった。さほど寒くもない。昼食を食べて、「かごしま近代文学館」の横から城山に歩いて登ることにした。時間は十分にあったので、時々立ち止まって眼下に見渡せる風景を眺めたりしながら、思い出にふけったりした。昔、医学部や大学病院のあった跡地には、鹿児島医療センターや黎明館が建っている。50年近く前にタイムスリップしたかのような感慨に至るが、井形先生が鹿児島に来られた昭和46年(1971年)のことだから45年余りが経ったことになる。その歳月の大半は私の医師人生ともぴったり符合するものだが、一陣の風のようにも思えてくる。だれしも一つの人生しか歩めないわけであり、井形先生に支えられた私の人生も総じて、それなりに良い人生だったように総括しながら山道を登っていった。