Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

みゆき(4)(2017/06/06) 

2010年には美由紀たち姉妹が退院して10周年を記念して、祝賀会がウエルビュー鹿児島で開かれた。長期間入院していた筋ジス病棟を退院して自立生活を営むという決断は、無謀にも思える出来事だった。その時の父親の話では、「もちろん退院には反対していたが、分かった時には既に自立生活を始めていた」という。
         美由紀のメールには「父は相変わらず、『父ちゃんはなごねで(長くはない)』と言いながら、なんやかんやとしてくれます。もう、お前達のことは心配いらんから、安心して死ねると言ってますが、死んでもらっても困るので、まだ喧嘩しながら長生きしてもらおうと思っています。先生も毒舌に磨きをかけて、これからも叱咤激励してくださいね。入院はたまにはしないと、先生が寂しいでしょうからね(笑)」と書かれていた。
         また2012年には美由紀たちが中心になって、筋ジス病棟同窓会を天文館で開いてくれた。この時には沖縄から、けんじろう夫妻も参加していた。二人が結婚した後、子どものことで美由紀から相談を持ちかえられたことがあった。医者の立場でいえば、「けんじろうは脊髄性筋萎縮症なので劣性遺伝であるが、奥さんの病気では優性遺伝することもあるので慎重に考えた方がいい」というような返事をした。ところが世の中のこと分からないもので、生まれてきた二人の子供はすこぶる元気で、成長して両親の車いすを押している様子が週刊誌でも取り上げられたこともあった。当時長男は施設で働いており、次男は作業療法士の専門学校に通っているということだった。
         また2013年には前年に私が人事院総裁賞(個人賞)を頂いたので、私の友人たちに祝賀会を開いてもらった。美由紀は記念アルバムに「てげてげ先生がこんな立派な賞をもらわれて、私たち患者としては涙が出そうに嬉しいです」と、かねての発言からは想像できないような殊勝な言葉を寄せてくれている。私が1998年に南九州病院の院長に就任した時には、岩崎さんや美由紀姉妹、山田君などが「先生、疲れたり、悩みがあるときには、私たちの所に来て下さい。何もできないけど、『はけぐち』にでもしてくれたら」と言われたものである。
         今回の病気と、その後の経過について、メールをもとに時系列でまとめてみた。
         突然のがんの告知に心の葛藤や不安は大きかったと想像できるが、表面的には冷静さでいつも笑顔で接してくれた。美由紀とは長い付き合いということもあり、それなりに気が合って、何でも遠慮なく直截に話すことができた。河端さんが日本筋ジス協会の会長で、私が研究班の班長だったころ、私と美由紀との会話を聞いて、「班長さんが筋ジス患者をバカにするような発言をしてもらっては困ります」と真面目に忠告を受けたことも今では笑い話である。