日本難病医療ネットワーク学会(3)(2017/10/13)
鈴木大拙館を後にして、木々の密集した散策路を登ると小さな滝があり、その頂上に石川県立図書館、県立美術館へとつながる。その後、金沢城のお堀の沿って歩くとたくさんの彫刻や金沢を代表する文豪である泉鏡花、徳田秋声、室生犀星などの銅像もある。ホテルまで歩こうかとも考えたが、少し歩き疲れたのでタクシーに乗る。
その夜は、駅近くの長八という寿司店で、永井さん、里中さん、山田さん(名古屋の作業療法士)の4人で美味しい魚や寿司を食べた。北陸の魚は格別である。
29日朝は予報と異なり、小粒の雨もぱらついている(その後、次第に回復して昼前には晴れたのだが)。駅から8時過ぎのバスに乗り20分ほどで会場の県地場産業振興センターに到着した。受付など済ませて、9時半からの開会式に臨んだ。シンプルな開会式で、会長の挨拶のみである。
午前中はロビーでNHO宮崎東病院の塩屋先生と雑談して時を過ごした。久しぶりに国立病院機構の現状を聞くことができた。
私の特別講演は13時からで、座長は会長の山田先生である。山田先生とはこれまで直接の面識はなかったのだが、東京の葛飾の出身で、43歳の時に金沢大学の教授になったが、金沢は縁もゆかりもない土地だったという。私との縁をさがすと神経学会の理事会で、私が務めていたCOI委員長を引き継がれているということぐらいである。
講演のタイトルは「難病医療今昔物語」とした。当日の「物語」の展開は、次のようなものである。
1.私と難病
2.難病医療の先人たち
3.難病法の成立
4.社会参加と共生社会
5.幸せのかたち
6.いのちを考える
講演後のコメントで、山田先生は「先生の歩いてきた道が日本の難病医療の歴史そのものである」と過分のお褒めの言葉を頂戴した。確かに私が医学部を卒業して医師としての歩みを始めた年が日本の「難病対策要綱」の制定された年であり、42年後の新難病法の制定にあたっては、7年間(委員、副委員長、実質的な委員長)難病対策委員会で新法の作成、そして制定後の運用などにも係ってきている。
講演の後、筋ジス研究班合同企画「筋ジストロフィー」のセクションを聴講した。そのなかで、「人工呼吸器を着けて地域で自分らしく生きるために」を発表された山口和俊さんの生き方は凄いと思った。現在30歳、長崎市の生まれでプレクチン欠損による筋ジストロフィーと表皮水泡症という二つの難病を抱えている。7歳ごろから歩行困難が出現し車いすの生活となり、地域の普通学校から大学を卒業(南山高校から西南大学法学部)したころにBIPAPを導入、26歳ごろに気管切開をして人工呼吸器の生活となる。家族(特に母親)に迷惑をかけたくないという思いもあって、6人のボランティアの支援で親元を離れて介助者の力を借りて一人暮らしを始めている。渡辺一史さんの描いた「こんな夜更けにバナナかよ」と同じような世界である。リクライニング式の電動車いすで臥床しているので、表情など判らない。介助者が口元の動きで瞬時に発言の内容を読み取り、マイクを使って発表していた。このような生活に移って9か月が経ったということだが、今後もボランティアを確保できて、できるだけ長い期間、スムースな在宅生活ができるように祈りたい。
その夜は、駅近くの長八という寿司店で、永井さん、里中さん、山田さん(名古屋の作業療法士)の4人で美味しい魚や寿司を食べた。北陸の魚は格別である。
29日朝は予報と異なり、小粒の雨もぱらついている(その後、次第に回復して昼前には晴れたのだが)。駅から8時過ぎのバスに乗り20分ほどで会場の県地場産業振興センターに到着した。受付など済ませて、9時半からの開会式に臨んだ。シンプルな開会式で、会長の挨拶のみである。
午前中はロビーでNHO宮崎東病院の塩屋先生と雑談して時を過ごした。久しぶりに国立病院機構の現状を聞くことができた。
私の特別講演は13時からで、座長は会長の山田先生である。山田先生とはこれまで直接の面識はなかったのだが、東京の葛飾の出身で、43歳の時に金沢大学の教授になったが、金沢は縁もゆかりもない土地だったという。私との縁をさがすと神経学会の理事会で、私が務めていたCOI委員長を引き継がれているということぐらいである。
講演のタイトルは「難病医療今昔物語」とした。当日の「物語」の展開は、次のようなものである。
1.私と難病
2.難病医療の先人たち
3.難病法の成立
4.社会参加と共生社会
5.幸せのかたち
6.いのちを考える
講演後のコメントで、山田先生は「先生の歩いてきた道が日本の難病医療の歴史そのものである」と過分のお褒めの言葉を頂戴した。確かに私が医学部を卒業して医師としての歩みを始めた年が日本の「難病対策要綱」の制定された年であり、42年後の新難病法の制定にあたっては、7年間(委員、副委員長、実質的な委員長)難病対策委員会で新法の作成、そして制定後の運用などにも係ってきている。
講演の後、筋ジス研究班合同企画「筋ジストロフィー」のセクションを聴講した。そのなかで、「人工呼吸器を着けて地域で自分らしく生きるために」を発表された山口和俊さんの生き方は凄いと思った。現在30歳、長崎市の生まれでプレクチン欠損による筋ジストロフィーと表皮水泡症という二つの難病を抱えている。7歳ごろから歩行困難が出現し車いすの生活となり、地域の普通学校から大学を卒業(南山高校から西南大学法学部)したころにBIPAPを導入、26歳ごろに気管切開をして人工呼吸器の生活となる。家族(特に母親)に迷惑をかけたくないという思いもあって、6人のボランティアの支援で親元を離れて介助者の力を借りて一人暮らしを始めている。渡辺一史さんの描いた「こんな夜更けにバナナかよ」と同じような世界である。リクライニング式の電動車いすで臥床しているので、表情など判らない。介助者が口元の動きで瞬時に発言の内容を読み取り、マイクを使って発表していた。このような生活に移って9か月が経ったということだが、今後もボランティアを確保できて、できるだけ長い期間、スムースな在宅生活ができるように祈りたい。
