歴史の街(6)(2018/06/29)
ところで長沢は1865年に、五代とともに薩摩藩から英国に派遣された留学生のなかで最年少(13歳)であった。結果的には一番の長命で、1934年(昭和9年)に82歳の波瀾万丈の生涯を自らが経営していたカリフォルニアの農園で閉じている。長澤の存在は一般的にはほとんど知られていなかったが、1983年に来日したレーガン大統領が、日米交流の祖として長澤の名を挙げたことにより広く認知されるようになった。先日、「ナガサワワイン」という名称の赤ワインを飲んだが、なかなかのものだった。それにしても13歳というと、まだ中学一年生である。薩摩藩が未来の日本のためにそのような若者を選抜した先見性に驚くとともに、両親の勇気と覚悟にも感服する。
これも偶然のことであるが、皆越先生から電話があって、ICUに入院中の大迫さん(従兄)を見舞った。大迫さんは、南九州病院時代にある事情でご自宅を訪問したことがあった。玉川大学の教授をされていたが、定年後に鹿児島に帰って来られたのである。由緒のありそうなご自宅には、江戸時代の甲冑の類がたくさんあり、ご先祖も戊辰の役に従軍したというような話を聞いたような気がする。
翌日、スタッフを介して大迫さんから一冊の本をもらった。これが冒頭に紹介した立元幸治著、「威ありて猛からず。学知の人西郷隆盛」という本である。
立元さんは鹿児島の出身で、九州大学卒業後にNHK入局。チーフプロデューサーや局長などを歴任されている。この本を読むと、西郷が「知の人、情の人」であり、誤解を受けやすい二面性を持っていたことなどを明らかにしている。本のカバーに、難問「西郷を解く9つのカギ」と書かれているが、その9章のタイトルから概略が掴める。
「無私と野心」「勁(つよ)さと優しさ」「知と情」「度量と狭量」「君子と凡夫」「官と民」「忠心と逆心」「忠心と逆心」「都と野と」「天の道、人の道」と、自分の中に相反する対立概念を双方とも包み込んだところに西郷の度量の広さだと評価する人も多い。逆に、誤解する人も多かったのではないかと想像する。一人の人間の中に偉大なる英傑としての部分と凡庸な部分を併せ持っていたことがその魅力かも知れないし、現代人にはわかり難い部分である。
気がついてみれば、明治維新前後に活躍した3人の薩摩人を紹介したことになる。毎年、私が新入職員への病院紹介で、「南風病院は薩摩の古い歴史のまっただ中にある病院である」と話してきたが、3人の生家や墓は歩いて何れも20分ほどの距離にある。時間を作って、是非とも訪ねて欲しい。そして150年以上前に、「雲の上」を目指して一生懸命に生きた明治人に思いを馳せて欲しい。
これも偶然のことであるが、皆越先生から電話があって、ICUに入院中の大迫さん(従兄)を見舞った。大迫さんは、南九州病院時代にある事情でご自宅を訪問したことがあった。玉川大学の教授をされていたが、定年後に鹿児島に帰って来られたのである。由緒のありそうなご自宅には、江戸時代の甲冑の類がたくさんあり、ご先祖も戊辰の役に従軍したというような話を聞いたような気がする。
翌日、スタッフを介して大迫さんから一冊の本をもらった。これが冒頭に紹介した立元幸治著、「威ありて猛からず。学知の人西郷隆盛」という本である。
立元さんは鹿児島の出身で、九州大学卒業後にNHK入局。チーフプロデューサーや局長などを歴任されている。この本を読むと、西郷が「知の人、情の人」であり、誤解を受けやすい二面性を持っていたことなどを明らかにしている。本のカバーに、難問「西郷を解く9つのカギ」と書かれているが、その9章のタイトルから概略が掴める。
「無私と野心」「勁(つよ)さと優しさ」「知と情」「度量と狭量」「君子と凡夫」「官と民」「忠心と逆心」「忠心と逆心」「都と野と」「天の道、人の道」と、自分の中に相反する対立概念を双方とも包み込んだところに西郷の度量の広さだと評価する人も多い。逆に、誤解する人も多かったのではないかと想像する。一人の人間の中に偉大なる英傑としての部分と凡庸な部分を併せ持っていたことがその魅力かも知れないし、現代人にはわかり難い部分である。
気がついてみれば、明治維新前後に活躍した3人の薩摩人を紹介したことになる。毎年、私が新入職員への病院紹介で、「南風病院は薩摩の古い歴史のまっただ中にある病院である」と話してきたが、3人の生家や墓は歩いて何れも20分ほどの距離にある。時間を作って、是非とも訪ねて欲しい。そして150年以上前に、「雲の上」を目指して一生懸命に生きた明治人に思いを馳せて欲しい。
