Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

歴史の街(3)(2018/06/26) 

私が現在働いている南風病院は江戸時代には鶴丸城の城下町に位置しており、さまざまな遺跡に巡り会うことができる。 
 3月29日、30日の両日、PET健診の結果説明が組まれていなかったことを幸いに、快晴でもあったので昼休み時間を利用して五代友厚の生誕地と南洲墓地を訪ねてみることにした。4月の新入職者のオリエンテーションで、「我が南風病院は薩摩の歴史と共にある由緒ある場所に建つ病院である」ことを紹介したいと思い、写真に収めておこうと思いたったのである。
 五代友厚はNHK連続テレビ小説「あさが来た」で、ディーン・フジオカが演じたことで一躍有名になった。その後の足跡を辿ると、西郷に勝るとも劣らない業績を上げた人物ではなかったかと思うことである。西郷より8歳年下で、西郷との濃い接点はなかったようであるが、林真理子の原作では仙巌園で西郷も同席の場所で、島津斉彬が当時英名誉れ高い五代に質問するという設定になっている。もう一度は、西郷が二度目の遠島から帰ってから再会する。
 この後の項は、鹿児島県の広報ネットとSUSHOO!JAPANの小檜山青さんの「五代友厚(才助)49年の生涯」から引用したものが大半である。
 生誕地は南風病院から歩いて15分くらいの長田町(南風病院も同じ長田町)城ヶ谷という所である。すぐ近くには西郷隆盛終焉の碑もある。城山の麓の文字通り左右を小さな山に囲まれた谷となっている場所だが、さほど深い谷ではなく見通しは悪くない。銘碑によると、五代は1835年生まれということで、この年は天璋院篤姫,小松帯刀,坂本龍馬、土方歳三など幕末の有名人が多数生まれている。
 父の五代直左衛門秀尭は藩の記録奉行で、藩主島津斉彬の側近くに仕えていたという。西郷と異なり上級武士(300石から500石)だったようで、そのためか左右を孟宗竹で囲まれた屋敷跡はかなり広い。最近になって綺麗に整備されたようで、平坦な敷地に小さな桜の木が一本植えられている。私は10分ほど椅子に腰かけて180年ほど前に思いを馳せていたが、一人の見学者は見えなかった。五代は長男ではないことから、この城ヶ谷の屋敷に居を構えるわけにはいかず分家することになり、藩主から鹿児島郡坂元村坊中馬場(現在の清水町)に屋敷を賜ったという。
 五代の足跡を辿ると、優秀で開明的な能吏だったことがよくわかる。幼少時より利発だったようで、14歳の時に世界地図を模写するよう命じられ,それを参考に自作の地球儀を作り、この地球儀で世界の距離を測り,航路を想像して,心密かに海外への雄飛を夢見ていたそうである。当時の薩摩藩の多くは精忠組に属し、尊王攘夷の活動に身を投じる人とは一線を画していたようである。