8・6水害(前)(2018/08/06)
今日は2018年8月6日である。
気象庁は今年の梅雨明けを、関東甲信地方では6月29日と発表した。同地方では最も早い梅雨明けで、6月は初めてだったという。これまでで最も早かったのは2001年の7月1日で、平年より22日も早い。
ところが、である。
7月になって梅雨前線が北上、この前線に向かって南から暖かく湿った空気が断続的に入り込み、九州から四国、中国、近畿地方へと断続的な豪雨が続き、各地で特別警戒情報が発令された(戻り梅雨と言う、便利な言葉もあるようだが)。鹿児島県地方も6日から7日にかけて、大雨・洪水警報が発表され、各地で豪雨が続いた。日本列島、箱根から西の地方は至る所で大きな河川の氾濫があり、岡山や広島県を中心に多くの人命が失われた。温暖化の影響もあるのか、まとまった雨が短期間で局地的に降る傾向(線状降水帯)となっており、日本列島、安心できる場所はないと言ってよい。
ところで鹿児島県人にとって河川の氾濫で忘れられないのは、平成5年(1993)8月6日の、市内中央部を流れる甲突川の氾濫である。もう25年前の出来事になり、当時一緒にホテルで過ごした母も、家内の両親も、そして留守役の義祖母も亡くなってしまった。中学生だった子どもたちはそれぞれ結婚し、私たちも4人の孫から元気をもらっている。
さて鹿児島では、この日の話となると、ほとんどの人がそれぞれの体験を昨日のことのように話しだす。
私はと言えば、この日、南九州病院に来て初めての夏休みを取って、この藺牟田池の湖畔にあるホテルに滞在していた。そのいきさつはと言うと、恒例の筋ジスの夏の療育キャンプが7月20日前後にこのホテルであり、帰るときにどういう心境の変化だったのか、「今年は家族をこのホテルに連れて来よう」と、殊勝なことを思い立ったのである。フロントで8月6日だけが空いているということを確かめて予約して帰った。この年は、鹿児島は梅雨からずっと大雨の連続で、梅雨も明けることなく降り続いた。7月末から8月初旬にかけては空港地域を中心に姶良郡で集中豪雨となり、空港からの道路も寸断され、足止めを食った乗客も多かったのもこの夏の出来事である。
さて8月6日当日も、朝からひどい雨だったが、予約していることでもあり、家内と二人の子どもは朝早く路線バスで、私と母、そして家内の両親は私の車で出発した。ただこの時は、その日の夕方から夜にかけて、甲突川が氾濫し天文館など鹿児島市街地が水没し、竜ヶ水では土石流などで30数人が犠牲者となる大惨事が起きることなど予想だにしなかった。夜、部屋で義父と飲んでいて、階下に氷を取りにやった当時中学生だった息子が、「なんか鹿児島であったらしく、大騒ぎしているよ」という。テレビをつけて初めて、鹿児島市で起きている大惨事を知ることになったのである。
気象庁は今年の梅雨明けを、関東甲信地方では6月29日と発表した。同地方では最も早い梅雨明けで、6月は初めてだったという。これまでで最も早かったのは2001年の7月1日で、平年より22日も早い。
ところが、である。
7月になって梅雨前線が北上、この前線に向かって南から暖かく湿った空気が断続的に入り込み、九州から四国、中国、近畿地方へと断続的な豪雨が続き、各地で特別警戒情報が発令された(戻り梅雨と言う、便利な言葉もあるようだが)。鹿児島県地方も6日から7日にかけて、大雨・洪水警報が発表され、各地で豪雨が続いた。日本列島、箱根から西の地方は至る所で大きな河川の氾濫があり、岡山や広島県を中心に多くの人命が失われた。温暖化の影響もあるのか、まとまった雨が短期間で局地的に降る傾向(線状降水帯)となっており、日本列島、安心できる場所はないと言ってよい。
ところで鹿児島県人にとって河川の氾濫で忘れられないのは、平成5年(1993)8月6日の、市内中央部を流れる甲突川の氾濫である。もう25年前の出来事になり、当時一緒にホテルで過ごした母も、家内の両親も、そして留守役の義祖母も亡くなってしまった。中学生だった子どもたちはそれぞれ結婚し、私たちも4人の孫から元気をもらっている。
さて鹿児島では、この日の話となると、ほとんどの人がそれぞれの体験を昨日のことのように話しだす。
私はと言えば、この日、南九州病院に来て初めての夏休みを取って、この藺牟田池の湖畔にあるホテルに滞在していた。そのいきさつはと言うと、恒例の筋ジスの夏の療育キャンプが7月20日前後にこのホテルであり、帰るときにどういう心境の変化だったのか、「今年は家族をこのホテルに連れて来よう」と、殊勝なことを思い立ったのである。フロントで8月6日だけが空いているということを確かめて予約して帰った。この年は、鹿児島は梅雨からずっと大雨の連続で、梅雨も明けることなく降り続いた。7月末から8月初旬にかけては空港地域を中心に姶良郡で集中豪雨となり、空港からの道路も寸断され、足止めを食った乗客も多かったのもこの夏の出来事である。
さて8月6日当日も、朝からひどい雨だったが、予約していることでもあり、家内と二人の子どもは朝早く路線バスで、私と母、そして家内の両親は私の車で出発した。ただこの時は、その日の夕方から夜にかけて、甲突川が氾濫し天文館など鹿児島市街地が水没し、竜ヶ水では土石流などで30数人が犠牲者となる大惨事が起きることなど予想だにしなかった。夜、部屋で義父と飲んでいて、階下に氷を取りにやった当時中学生だった息子が、「なんか鹿児島であったらしく、大騒ぎしているよ」という。テレビをつけて初めて、鹿児島市で起きている大惨事を知ることになったのである。
