日本百名山ひと筆書き(後)(2018/11/06)
甲信越・関東地方の百名山33座を巡った田中さん、梅雨の湿気と暑さに耐えながら、50座目の折り返しとなる浅間山に登頂。さらに7月としては過去最大規模の台風が迫る中、八ヶ岳連峰のスピード登山を敢行する。台風通過後は、「奥秩父の異端児」と呼ばれる瑞牆山・金峰山。連続する鎖場に挑戦した後、日本一の山・富士山へ向かう。そこでアクシデントが発生、左肩を脱臼してしまう。
富士山下山後は、首都圏に突入。丹沢山、筑波山と歩みを進める中で、多くのファンの応援を受け、田中氏は少しずつ戸惑いも感じる。そんな中体調を崩し、旅が始まって以来の発熱と5日間の足止め。しかしこのトラブルが、「旅を通じて地域の山々の魅力を伝えたい」という初心に立ち返るきっかけとなる。関東の残りの山々を登るうちに、少しずつ体調も戻り、自然体で山と人々との出会いを楽しむ。
最後の東北から北海道の山23座を巡り、ゴールの利尻岳を目指す。会津駒ケ岳、安達太良山から飯豊山、蔵王山など、スケールが大きく登りがいのある山が続く東北。岩手に入り八幡平を歩くころには秋の気配が漂い始める。そして竜飛岬から津軽海峡をカヤックで渡り北海道に入る。
すでに季節は秋から冬へ。雪が降り積もる前に大雪山やトムラウシなどの2000m峰をクリアするため、ここからは時間との闘いになる。更に羅臼岳から稚内までのロード移動400キロ。そしてこの旅最後の難関、利尻島までカヤックで。ネットでチェックすると、208日と11時間で踏破しきったという。
実は10月31日が東京で難病対策委員会で出張、最後の4回を見過ごしてしまった。11月1日からは200名山に変わっていた。
田中さんは足が痛くても、足が腫れても、毎日歩き、登り続けなければならない。スケジュール通りに進まなければ、真冬の北海道に遭遇することになる。まさに時間との闘いといえる。
それでもこの番組の魅力は、行く先々で、山の頂上で、仲間やサポーター、偶然であったファンたちとの交流が描かれる。田中さんも、どんなにきつくても笑顔を絶やすことはほとんどない。いつもにこやかな表情である。
この7ヶ月間に2度ほど数日の休養を余儀なくされている。一度は発熱や胃腸症状で医院に5日間ほど入院、もう一度は足の炎症で富良野の自宅に3日ほど逗留した。長年の経験から、長く休むと体が動かなくなることを知っている。いろいろな困難をすべて受け入れる、道に迷ったら、これも旅だと。
それにしてもどのようにして育ったら、このような過酷な体験が可能になるのか興味を持ってしまう。ネットで調べると次のようなことが書かれている。
田中さんが6歳の時に、国民的テレビドラマ「北の国から」の影響を受けたお父さんの一言で、田中さん一家は「北の国から」の舞台になった北海道富良野市に移住した。お父さん凄い行動力に脱帽である。
富良野移住後は雪と共に過ごしているうちにクロスカントリースキーに没頭する様になり、明治大学でもスキー部に入りインターカレッジで7位入賞する好成績を納めている。群馬県みなかみ町に所在する有限会社カッパクラブで、山岳ガイドやリバーガイドとして勤務しながら、2012年と2013年のパタゴニア・エクスペディションレースに出場し、2年連続2位となっている。
富士山下山後は、首都圏に突入。丹沢山、筑波山と歩みを進める中で、多くのファンの応援を受け、田中氏は少しずつ戸惑いも感じる。そんな中体調を崩し、旅が始まって以来の発熱と5日間の足止め。しかしこのトラブルが、「旅を通じて地域の山々の魅力を伝えたい」という初心に立ち返るきっかけとなる。関東の残りの山々を登るうちに、少しずつ体調も戻り、自然体で山と人々との出会いを楽しむ。
最後の東北から北海道の山23座を巡り、ゴールの利尻岳を目指す。会津駒ケ岳、安達太良山から飯豊山、蔵王山など、スケールが大きく登りがいのある山が続く東北。岩手に入り八幡平を歩くころには秋の気配が漂い始める。そして竜飛岬から津軽海峡をカヤックで渡り北海道に入る。
すでに季節は秋から冬へ。雪が降り積もる前に大雪山やトムラウシなどの2000m峰をクリアするため、ここからは時間との闘いになる。更に羅臼岳から稚内までのロード移動400キロ。そしてこの旅最後の難関、利尻島までカヤックで。ネットでチェックすると、208日と11時間で踏破しきったという。
実は10月31日が東京で難病対策委員会で出張、最後の4回を見過ごしてしまった。11月1日からは200名山に変わっていた。
田中さんは足が痛くても、足が腫れても、毎日歩き、登り続けなければならない。スケジュール通りに進まなければ、真冬の北海道に遭遇することになる。まさに時間との闘いといえる。
それでもこの番組の魅力は、行く先々で、山の頂上で、仲間やサポーター、偶然であったファンたちとの交流が描かれる。田中さんも、どんなにきつくても笑顔を絶やすことはほとんどない。いつもにこやかな表情である。
この7ヶ月間に2度ほど数日の休養を余儀なくされている。一度は発熱や胃腸症状で医院に5日間ほど入院、もう一度は足の炎症で富良野の自宅に3日ほど逗留した。長年の経験から、長く休むと体が動かなくなることを知っている。いろいろな困難をすべて受け入れる、道に迷ったら、これも旅だと。
それにしてもどのようにして育ったら、このような過酷な体験が可能になるのか興味を持ってしまう。ネットで調べると次のようなことが書かれている。
田中さんが6歳の時に、国民的テレビドラマ「北の国から」の影響を受けたお父さんの一言で、田中さん一家は「北の国から」の舞台になった北海道富良野市に移住した。お父さん凄い行動力に脱帽である。
富良野移住後は雪と共に過ごしているうちにクロスカントリースキーに没頭する様になり、明治大学でもスキー部に入りインターカレッジで7位入賞する好成績を納めている。群馬県みなかみ町に所在する有限会社カッパクラブで、山岳ガイドやリバーガイドとして勤務しながら、2012年と2013年のパタゴニア・エクスペディションレースに出場し、2年連続2位となっている。
