一歩踏み出すあなたに(前)(2019/04/24)
毎年のことだが、新年度になると病院や会社、また学校に若者たちが入職、入社、入学してくる。そんな人たちに先輩からの「贈る言葉」を日経新聞では、「一歩踏み出すあなたに」という連載で、功なり遂げた人からの言葉として特集している。
4月1日は①ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏(70歳)である。
柳井氏は早稲田大学政経学部卒業後、ジャスコ(現イオン)に入社、9ヶ月で辞め、山口県の実家の紳士服店を手伝いながら、「人生で何をしたいか」と考えた。1980年代に流行っていた米英のアパレル企業の手法を必死に学んだ。
「若い人にまず取り組んでもらいたいことは、好奇心を持つことだ。そのうえで一つのことを追求する。あらゆる知識を実践で応用し、どんな職業でもその道のプロになることが大切。物事はケーススタディー通りにはいかない。自ら考え、周囲の知恵も借り、悪戦苦闘して解決策を見つけていってほしい。・・・有名な会社に入り終身雇用で一歩ずつ昇進する世界はもうないと思っている」。(終)
世界三位の衣料品メーカーになったユニクロを一代で築き上げた人物である。若い人に好奇心、周りの人への関心を持って欲しいと思う。新聞は読まない、読書はしない、ネット以外は無関心では困るというのである。
3日は②ノーベル物理学賞受賞者の天野浩氏(58歳)である。
天野氏は名古屋大学工学部卒業後、博士課程に入ったが博士号を取れずに満期退学、赤崎先生から助手として研究室に残してもらった。何としても博士号を取らなければならないので朝10時から夜中の1時まで、実験、実験、実験を繰り返す毎日だったという。
「今振り返ってみると(ノーベル賞の成果となる青色LED)のp型を作るためにとにかく必死だった。がむしゃらに突っ走ったとてもいい時期だった。だからといって皆が無理にがむしゃらになることはない。どうしてもやりたいことが見つからなくてもこれは面白いから頑張ってみようというスタンスで精神的なバランスをとるのもいい。人との調和を大事にしていく生き方もある。自分が一体何を欲しているかをきちんと見つめて、そして行動してほしい。・・・出会いは大切にしよう。赤崎先生との出合い、青色LEDと出会ったから今の私がある。とてもラッキーだった」。確かにラッキーだったかと思う。一つの研究でノーベル賞に辿りつけたのだから。
4月1日は①ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏(70歳)である。
柳井氏は早稲田大学政経学部卒業後、ジャスコ(現イオン)に入社、9ヶ月で辞め、山口県の実家の紳士服店を手伝いながら、「人生で何をしたいか」と考えた。1980年代に流行っていた米英のアパレル企業の手法を必死に学んだ。
「若い人にまず取り組んでもらいたいことは、好奇心を持つことだ。そのうえで一つのことを追求する。あらゆる知識を実践で応用し、どんな職業でもその道のプロになることが大切。物事はケーススタディー通りにはいかない。自ら考え、周囲の知恵も借り、悪戦苦闘して解決策を見つけていってほしい。・・・有名な会社に入り終身雇用で一歩ずつ昇進する世界はもうないと思っている」。(終)
世界三位の衣料品メーカーになったユニクロを一代で築き上げた人物である。若い人に好奇心、周りの人への関心を持って欲しいと思う。新聞は読まない、読書はしない、ネット以外は無関心では困るというのである。
3日は②ノーベル物理学賞受賞者の天野浩氏(58歳)である。
天野氏は名古屋大学工学部卒業後、博士課程に入ったが博士号を取れずに満期退学、赤崎先生から助手として研究室に残してもらった。何としても博士号を取らなければならないので朝10時から夜中の1時まで、実験、実験、実験を繰り返す毎日だったという。
「今振り返ってみると(ノーベル賞の成果となる青色LED)のp型を作るためにとにかく必死だった。がむしゃらに突っ走ったとてもいい時期だった。だからといって皆が無理にがむしゃらになることはない。どうしてもやりたいことが見つからなくてもこれは面白いから頑張ってみようというスタンスで精神的なバランスをとるのもいい。人との調和を大事にしていく生き方もある。自分が一体何を欲しているかをきちんと見つめて、そして行動してほしい。・・・出会いは大切にしよう。赤崎先生との出合い、青色LEDと出会ったから今の私がある。とてもラッキーだった」。確かにラッキーだったかと思う。一つの研究でノーベル賞に辿りつけたのだから。