Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

私の歩んだALS人生(2019/01/30) 

人生は偶然ときっかけと志で変わっていくものである。
     私は1972年に医学部を卒業したが、奇しくも医師生活を始めたこの年に「難病対策要綱」が制定された。1974年に東京都立府中病院に務めたが、この時の18歳の重症筋無力症の女子高校生のその後の生き方が「就労の大事さ」を教えてくれた。彼女は数々の苦難を乗り超えて、小さいころからの夢であった美容師の仕事を、オーナーの理解もあって40年近く立派に続けることができた。
     1984年に国立療養所南九州病院に異動した。保健所の所長から、「お父さん(43歳)がALSになり、家族(母親と14歳の兄、11歳の妹)の3人で、2年間24時間交代で胸押し(用手補助呼吸)をしている」との相談を受けた。訪問看護や介護保険などの制度もなかった時代、試行錯誤の中で在宅人工呼吸管理とケアシステムを導入する機会になった。
     2003年、24時間在宅で妻を介護している夫から「ヘルパーにも吸引を」との要望を受けて、「新たな看護の在り方に関する検討会」が設置され、ALS協会の支援を受けて参加した。
     2011年から鹿児島県難病相談支援センターの所長(非常勤)となり、難病相談を行っている。その時に思うことは「幸せのかたち」もそれぞれであり、「いのち」を考えるいい機会にもなっている。
     2015年1月から施行されている「難病法」の総則には、「社会参加」と「地域社会での共生」という文言が付されている。この二つの言葉には、当時難病対策委員会委員長だった故金澤一郎先生と私(副委員長)の強い思いが込められている。JALSA(106号)