Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

正月三ヵ日(前)(2019/01/11) 

4月1日に新しい元号の公表が発表されたが、そうなると昭和はもっと遠くになってしまう。私の子どもの頃の「正月の思い出」といえば、昭和20年代の頴娃町での田舎の時代に遡る。戦後の物のない貧しい時代であったが、正月だけは「一点豪華主義」というか、特別な日でもあった。新調しないまでも、それなりに自分の持っている服の中で最もいいものを着て、大阪などに働きに出ている従妹などから送ってもらった手袋などをすると、それはそれは嬉しいものだった。今のようにモノが満ち足りた世の中になってしまうと、このような喜びを感じることはないだろう。
 遊びといえば、家の中ではいろはかるたや百人一首、福笑い、すごろく、トランプなどで、外での遊ぶ遊びといえばカルタやめだま、凧揚げ、コマ回しなどを思い出す。
 元旦には登校して、寒さに震えながら唱歌の「一月一日」をみんなで歌った記憶がある。ところが周りの同世代の人に訊ねても「そんな記憶はない」という声が圧倒的に多かった。  
 ♪ 年の始めの 例(ためし)とて 終りなき世の めでたさを ♪
 ♪ 松竹立てて 門ごとに 祝う今日こそ 楽しけれ ♪
 地域による違いなのだろうか分らないが、1月4日の鹿児島市医師会の年始式では毎年この歌を歌っている。
 また家の前の庭には年末に白砂をまいてあり、そこで遊んでいると、父親が朝の水汲みに行ったりしたものである。それからみんなで簡単なおせちを食べたり、餅を焼いて食べたりしたものである。
 さて今年は、平成最後の元旦の朝である。
 いつものように朝早く起きて、朝食の「おせちもどき」を食べて、5時前に病院へと向かう。曇っているが比較的暖かい。車で行くか歩いて行くか迷ったが、車で行くことにした。
 これもいつもの習慣で、その場足踏みしながらNHK総合の5時10分の秘島探検「南硫黄島」を観る(再放送かな)。小笠原諸島の火山列島の一部で東京都小笠原村に属する無人の火山島である。外観はピラミッド状の急峻な地形で、全域が立入制限地区とされているそうである。そのため生物の進化もよく分る貴重なフイールドとなっている。
 そのあと6時台は「小さな旅」で、3年前の録画の出雲大社である。7時が過ぎると「初日の出」の番組に変わり、ヘリコプターで富士上空からのダイヤモンド富士をきれいに捉えていた。
 7時10分ごろ、去年と同様に南洲神社に向かう。10分ほどで参道の階段を昇り、西郷隆盛のお墓の前にしばし佇む。そのあと境内で参拝し、初日の出を待つが、桜島山稜から大隅半島にかけては薄い雲に覆われている。山の端は黄金色に輝いてはいるが、太陽は顔を出さない。諦めて階段を下りる。
 一日は管理職の当番日にもなっていたので、8時半過ぎに病院に行き、当直者に様子を訊ねる。幸いにも大きな問題もなく、平穏な年の初めのようである。