畏友栗山君の死から(1)(2019/04/11)
畏友栗山 勝君の訃報を知ったのは4月8日の早朝である。彼の後任の脳神経センター大田記念病院の現院長である郡山達男先生からのメールである。
誠に残念なお知らせでございますが、栗山 勝先生が昨日(4月6日(土))の深夜にご逝去されたとの連絡が栗山先生の姪御さんよりありました。
この2行のメールから、さまざまな思いが走馬灯のように私の頭の中を駆け巡った。しばらくして冷静な気持ちになったところで、同じような距離関係にあった丸山征郎先生(鹿児島大学システム血栓制御学講座特任教授)にメールをする。「なんだか、淋しい、暗澹たる想いです」という返事がすぐ戻ってきた。全く同じ思いである。悲しい、どこまでも悲しい。
しばらくぼっとしながら、「いまごろ向うで井形先生から、ちょっと君、早いのじゃないのと言われているかも」と考えたら、ちょっと気分が楽になった。栗山君も井形先生によく相談していた口である。福岡での通夜や告別式の日時が旧第三内科の岡本医局長より知らされたが、年度初めの行事も重なって出席できなかった。出席された丸山先生や中里先生の話で「死顔は安らかで穏やかだった」と聞いて、私の気持ちもいくらか安らいだ。
丸山先生の「彼は、私の想像をはるかに超えた人間だった、とつくづく感銘しております。弱音を吐かない、”一人で苦難に耐えて行ける”男だったのだと。苦しいとか残念だとか、逝くのは怖いとか寂しいとか、言うこともなく、またそういう人もいなかった。背中をさすってもらったり、苦しみを打ち明けることもなく、独りで逝った・・・。この彼の強靭さが、彼の学問を創ったのでしょうね」という感想は、私と全く同じである。丸山先生は学生時代、栗山君と多賀山公園への登り口の民家で「にんにく酒」を飲みながら、一年ほど一緒に暮らしたこともあった。
釈迦の言葉に「人間は、ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。これが人間の運命だ」というものがある。人間は本来孤独な存在だから話し合える友が欲しくなるし、一緒に暮らす家族も欲しいと願う。ただ釈迦自身が家族を捨てて修行の道を選んだように、独居老人も増えていくこの現代社会は、孤独を恐れない覚悟も同時に持ち合わせておかなければならないのではないだろうか。おそらく栗山君は故郷に帰り、福岡のマンションで、積極的な延命治療を善しとせず、井形先生の願った尊厳死協会の教え通りに、静かにこの世に別れを告げたものと思われる。
私は畏友で、十数年前に54歳の若さで多くの人に惜しまれながらがんで亡くなった荒畑喜一先生のことを思い出している。メイヨークリニックで3年間一緒に研究した仲であったが、帰国後の彼は、神経筋領域では世界にも並ぶもののないような研究者としての輝きを発していた。当時、杉田先生(井形先生の親友で、精神・神経センター名誉総長)のお話では「検査の後に転移性肝がんと分かり、埜中院長がありのままを話した。そうですかと静かに答え、泰然自若としていつもと変わるところが全くなかった。最後のフランスの学会(亡くなる2週間ほど前)も講演と座長を淡々とやり遂げた」と聞いたことがあった。
誠に残念なお知らせでございますが、栗山 勝先生が昨日(4月6日(土))の深夜にご逝去されたとの連絡が栗山先生の姪御さんよりありました。
この2行のメールから、さまざまな思いが走馬灯のように私の頭の中を駆け巡った。しばらくして冷静な気持ちになったところで、同じような距離関係にあった丸山征郎先生(鹿児島大学システム血栓制御学講座特任教授)にメールをする。「なんだか、淋しい、暗澹たる想いです」という返事がすぐ戻ってきた。全く同じ思いである。悲しい、どこまでも悲しい。
しばらくぼっとしながら、「いまごろ向うで井形先生から、ちょっと君、早いのじゃないのと言われているかも」と考えたら、ちょっと気分が楽になった。栗山君も井形先生によく相談していた口である。福岡での通夜や告別式の日時が旧第三内科の岡本医局長より知らされたが、年度初めの行事も重なって出席できなかった。出席された丸山先生や中里先生の話で「死顔は安らかで穏やかだった」と聞いて、私の気持ちもいくらか安らいだ。
丸山先生の「彼は、私の想像をはるかに超えた人間だった、とつくづく感銘しております。弱音を吐かない、”一人で苦難に耐えて行ける”男だったのだと。苦しいとか残念だとか、逝くのは怖いとか寂しいとか、言うこともなく、またそういう人もいなかった。背中をさすってもらったり、苦しみを打ち明けることもなく、独りで逝った・・・。この彼の強靭さが、彼の学問を創ったのでしょうね」という感想は、私と全く同じである。丸山先生は学生時代、栗山君と多賀山公園への登り口の民家で「にんにく酒」を飲みながら、一年ほど一緒に暮らしたこともあった。
釈迦の言葉に「人間は、ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。これが人間の運命だ」というものがある。人間は本来孤独な存在だから話し合える友が欲しくなるし、一緒に暮らす家族も欲しいと願う。ただ釈迦自身が家族を捨てて修行の道を選んだように、独居老人も増えていくこの現代社会は、孤独を恐れない覚悟も同時に持ち合わせておかなければならないのではないだろうか。おそらく栗山君は故郷に帰り、福岡のマンションで、積極的な延命治療を善しとせず、井形先生の願った尊厳死協会の教え通りに、静かにこの世に別れを告げたものと思われる。
私は畏友で、十数年前に54歳の若さで多くの人に惜しまれながらがんで亡くなった荒畑喜一先生のことを思い出している。メイヨークリニックで3年間一緒に研究した仲であったが、帰国後の彼は、神経筋領域では世界にも並ぶもののないような研究者としての輝きを発していた。当時、杉田先生(井形先生の親友で、精神・神経センター名誉総長)のお話では「検査の後に転移性肝がんと分かり、埜中院長がありのままを話した。そうですかと静かに答え、泰然自若としていつもと変わるところが全くなかった。最後のフランスの学会(亡くなる2週間ほど前)も講演と座長を淡々とやり遂げた」と聞いたことがあった。
